東京で開かれたコンサートで歌う
オリビア・ニュートン・ジョンさん
=平成15年4月(ロイター)
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8月8日、73歳で亡くなったオリビア・ニュートン・ジョンさんは、日本でも一世を風靡(ふうび)した歌手だった。
英国出身のニュートン・ジョンさんが活躍した1970年代から80年代にかけて日本でも英米の音楽は大変な人気を博したが、ニュートン・ジョンさんは、ベイ・シティ・ローラーズと並んで、その筆頭株で、「ジョリーン」「そよ風の誘惑」「カントリー・ロード」「マジック」など多数のヒット放った。
アコースティックな響きの音楽を基盤に、細く消え入りそうな美しい歌声は「天使の歌声」とたたえられ、ブロンドヘアの美しい容姿から「永遠の妖精」とも呼ばれた。
シンガー・ソングライターの尾崎亜美さんは、ニュートン・ジョンさんをイメージした「オリビアを聴きながら」という歌を書き、歌手の杏里さんが歌ってヒットさせている。
杏里さんは「私にとっての大切な宝物、光を失ってしまった」などとするコメントを発表した。
その容姿を生かして78年には女優としてミュージカル映画「グリース」に主演。前年の「サタデー・ナイト・フィーバー」で一躍人気者となっていた俳優、ジョン・トラボルタと共演した話題作で日本でも大ヒットした。また、映画からは「愛のデュエット」などヒット曲も生まれた。
81年に出したシングル曲「フィジカル」では、時代に合わせたイメージチェンジに成功。ディスコ、ロック調のサウンドに合わせてエクササイズをする、元気でたくましい女性に変身した宣伝映像も話題となり大ヒットした。
一方で、78(昭和53)年には長崎県で養殖の網を破るなどしたイルカを漁師が補殺したことに反応し、日本公演を拒否する声明を発表。同年4月の公演は延期になり、世界的な議論を巻き起こしたこともあった。
だが、日本のファンクラブの嘆願などにより同年10月、来日公演は実現。ニュートン・ジョンさんは日本で記者会見し、「イルカが漁場に近づかない方法を考えてほしい」と公演の収入の一部を日本のイルカ研究の施設に寄付するなどした。
その後も来日公演は頻繁に行い、当時の関係者は「ザ・ベンチャーズのように、津々浦々まで公演して回ったこともあった」と振り返る。親日家だったのだ。2015(平成27)年には、東日本大震災の被災地である福島で「Pray For Fukushima」と題した追悼公演も行った。
国連の環境親善大使や、乳がんを患った経験からがんの啓発活動に取り組むなど、社会活動にも熱心だった。
21(令和3)年に、日本の音楽文化の発展および友好親善に寄与したとして旭日小綬章を受章した際は、「日本は大好きな国。また訪れたい」と語る映像を公開。天使のような笑顔を見せていた。
筆者:石井健(産経新聞)