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2023年7月、世界最古の名門バレエ団、パリ・オペラ座バレエ団の正式団員になった。日本で生まれ育った日米ハーフは12歳で単身、パリに渡って同バレエ団付属のバレエ学校で学び、昨年7月、5度目の試験で入団を果たす。しかもダンサーの厳格な階級で知られる同団で11月、5段階ある階級の上から4番目、コリフェに昇進したという。
「もちろん最高位のエトワール(フランス語で星の意味)が夢ですが、コンクールはあくまでステップ。客席まで表現を伝えられるダンサーになるため、技術だけでなく表現力、人間性も磨きたいです」
神奈川県相模原市出身。自宅で英会話教室を営む米国人の父と、日本人の母との間に生まれ、姉の影響で、3歳からバレエを始めた。バレエにのめり込むきっかけとなったのが、平成25年のパリ・オペラ座来日公演。「天井桟敷の人々」に出演する子役オーディションに合格した。
「運命ってあると思う。当時、私は8歳でしたが、講習会の(オペラ座のエトワールだった)イザベラ・シアラヴォラ先生がすてきで、『オペラ座の試験を受けたら』って声を掛けて頂き、オペラ座が目標になりました」
米国のコンクールで入賞し、英ロイヤル・バレエ学校の入学許可も得たが、目標はぶれず、11歳でパリ・オペラ座バレエ学校に首席合格。12歳で単身、渡仏して同校に入学した。
全くフランス語ができないままで当初は苦労したが、踊りでは持ち味の音楽性と技術に加え、芸術性を重視するオペラ座のスタイルを猛練習で身に付け、順調に進級。16歳で卒業してから、契約団員として数多の代役をこなしつつ、入団チャンスをうかがった。バレエ学校生徒対象の内部試験、国内外から約300人が受けに来る外部試験とも、パスできるのは数人だ。
「1年目は全くダメで、2年目はあと一歩で不合格。3年目の2023年、5度目の正直で受けた外部試験で、審査員12人が全員一致で私に1位を付けてくださって、正式入団できました。涙が出るほどうれしかった」。
先の見えない契約団員時代は、夜公演への出演を当日夕方に言われるのも日常だった。「できません、とはいえない。やるしかない。ですから毎作品、どの役を振られてもできるよう、すべての役の振りを舞台裏で自主稽古していました」。そんな日頃の姿勢も、バレエ団幹部の審査員たちは見ていたのだ。
くしくもオペラ座との出会いとなった「天井桟敷の人々」の振り付けは、バレエ団芸術監督に就任したばかりのジョゼ・マルティネス。入団試験でも、真ん中に座っていた。「若い人にチャンスを下さる方で、ご自身もスペイン人ですからダンサーの多様性を認めています」。
今年2月、4年ぶりのオペラ座来日公演「白鳥の湖」と「マノン」に出演する予定。「10年前の来日公演が出発点ですから、感慨深いです。私の未来を信じ、ずっと支えてくれた両親やおばあちゃんに感謝し、踊りを見てもらいたい」。日本を羽ばたいた〝白鳥〟の里帰りになりそうだ。
筆者:飯塚友子(産経新聞)
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パリ・オペラ座バレエ団日本公演は、令和6年2月8~11日「白鳥の湖」▽2月16~18日「マノン」。問い合わせはNBS(03-3791-8888)