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JR御徒町駅近くの高架下にある「トレーニングセンター サンプレイ」。日本ボディービル界のレジェンド、宮畑豊会長(79)が立ち上げた創業40年を超える老舗ジムは、トップアスリートから健康増進目的の愛好家まで、幅広い層から熱狂的な支持を集めている。その背景には、自身がけがで1964年東京五輪の出場を逃し、寝たきり生活となった苦い経験があった。
サンプレイの看板に書かれたスローガンは「より美しく! より逞(たくま)しく! より健康に!」。中に入ると、平日の昼下がりにもかかわらず、サラリーマンらがウエートトレーニングやマシンで汗を流していた。期待の若手格闘家の姿もある。宮畑さんから声をかけられた男性は「会長に見られているだけで筋肉が大きくなりそうですね」と笑顔を見せた。
宮畑さんはボディービルの世界大会で3位の実績の持ち主。東京ボディビル・フィットネス連盟の理事長を長年務めるなど業界の発展にも尽力してきた。五輪金メダリスト、横綱に超有名歌手まで、指導した会員もそうそうたる顔ぶれだ。
挫折きっかけに
ジムを開くきっかけとなったのは若かりし頃の挫折だった。奄美大島出身で幼少期から格闘技にのめり込み、高校時代には鹿児島県大会で柔道と相撲の2種目で優勝。卒業後は大阪の企業に就職し、日の丸を背負うことを夢みていた。
しかし、腰に違和感を覚え始め、下半身にしびれが出るなど日常生活にも支障が出るようになった。脊椎分離症と診断され、医者には「明日、手術します」と宣告されたという。
ただ、「手術で成功した人を見たことがなかった」と宮畑さん。病院を転々としながら自力回復の道を模索した。温泉療法などあらゆる手段を試しながら歩行訓練を行い、徐々に回復。当初は10分歩けば高熱が出るほどの状態だったが、数時間歩行できるようになり、社会復帰につなげた。
その後、再就職した企業でボディービルに出合い、やがて大会にも出場するようになった。
「柔道の経験も生かしてトレーニングをできる環境をつくりたい」。昭和52年に現在の場所に近いビルの4階にジムをオープン。肉体改造のための激しいトレーニングと同時に、中高年の健康増進という側面も備えた。痛くない方へ動くと痛みが抑えられる体の仕組みを生かす「操体法」と呼ばれる理論も導入した。
障害者も多数指導
そうした成果が評価され、サンプレイには障害者も多く訪れる。2016年リオパラリンピックでパラパワーリフティング5位に入賞した三浦浩選手は教え子だ。約900人の会員のうち数十人は障害者で、中には歩けるようになり、車いすが不要になった会員もいるという。スタッフの一人は宮畑さんについて「個人に合わせたメニューを考案でき、人を見る目が神懸かっている」と称賛する。
現在、トレーニング指導とともに注力するのがシニアの体操講座。これまで日野市や埼玉県三郷市などで約3800人ものシルバー向け指導者を育成した。コロナ禍で指導の機会も減っているが、「コロナのような状況だからこそ体力づくりが大切だ」と意気込む。
夏には傘寿を迎えるが、「これからも体に気を付けながら変わりない指導を続けていきたい」。その意欲は衰えない。
筆者:石原颯(産経新聞)
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2021年2月2日付産経新聞【TOKYOまち・ひと物語】を転載しています