Haruki Murakami 002 Fitzgerald The Last Tycoon

F. Scott Fitzgerald's last novel, unfinished at his death, translated now by Haruki Murakami (cover, published by Chuokoron-shinsha-

『最後の大君』スコット・フィッツジェラルド著、村上春樹訳
(中央公論新社・1980円)

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作家の村上春樹さん(73)が、米作家スコット・フィッツジェラルド(1896~1940年)による未完の遺作『最後の大君』の新訳(中央公論新社)刊行に合わせ、産経新聞などのインタビューに応じた。翻訳をしながら見つめ直した何かを希求する心の大切さ、さらには、戦禍のウクライナ、映画「ドライブ・マイ・カー」のことまで話は多岐にわたった。

 

作家の村上春樹さん(中央公論新社提供)

 

自分が変わっていく実感があった40代

 

「小説家になる前から彼の作品が好きでこつこつ翻訳してきた。フィッツジェラルドは僕の出発点だし一種の文学的ヒーローなんです」

 

初めての翻訳書となった作品集『マイ・ロスト・シティー』(昭和56年)から不朽の名作『グレート・ギャツビー』(平成18年)まで、村上さんが訳したフィッツジェラルド作品は数多い。『最後の大君』(原題:The Last Tycoon)は、アルコール依存に苦しんだフィッツジェラルドが執筆中に心臓発作を起こし、44歳の若さで急死したため未完に終わった長編小説。村上さんは、作家の没後に友人である文芸評論家エドマンド・ウィルソンが草稿やメモ類を整理して編集した版(1941年刊)をもとに訳した。

 

「学生時代に読んだときは肩透かしをくったような気がしたんです。でも年を重ねて読み直したらすごく面白い。じわっと来るんです、温泉のぬるめのお湯みたいに。彼は44歳で、伸び盛りなんですよね、小説家として。僕もその年齢で『ねじまき鳥クロニクル』を出していて、書くたびに自分が変わっていく実感があった。『最後の大君』は未完ですが、もし最後まで書き切られていたらすごい小説になったと思います」

 

 

悲惨な戦争に「無力感を感じる」

 

物語の主人公は、貧しいユダヤ人家庭に生まれながら米ハリウッドで映画プロデューサーとして名を成したモンロー・スター。夢と野心を胸に、新興の映画界で辣腕(らつわん)を振るった男の栄光と没落が流麗な文章でつづられる。主人公のモデルは実在の伝説的プロデューサー、アーヴィング・サルバーグ。かつての人気が衰えて小説も売れなくなったフィッツジェラルドが、脚本家として赴いた映画の都で出会った人物だ。巨大化していく映画ビジネスの内情はもちろん、コミュニズムが台頭し時代の転換期にあった1930年代の米国の世相がしっかりと描き込まれた物語は、不思議な普遍性をもって迫ってくる。

 

「フィッツジェラルドが生きた時代は1920年代の好景気の後、それがつぶれて社会全体が落ち込む10年が来る。その落差を彼自身が身をもって生き、迷い模索し続けた。考えてみたら僕らも同じような経験をしているかもしれない。彼の小説を訳していて思うのは、自らを取り囲む環境の中で、どう自分を変えて新しい価値を見つけていくか、という切実さです」

 

華々しい栄達を遂げたモンロー・スターは、亡き妻の面影を宿す女性と激しい恋に落ちる。そこに悲しい破滅の予感が漂うあたりは、村上さんが「人生で巡り会ったもっとも重要な本」に挙げてきた『グレート・ギャツビー』とよく似ている。

 

「フィッツジェラルドの小説はロマンスが中心です。宿命的な恋に落ちるとか、異常なまでの憧れとか…『何かを希求する心』が常にあって、ある種のホットさがエネルギー源になっている。そして求めたものを手に入れたときには、それはもう輝きを失っている-というタイプの話が多いんですよね。求める心とその結果もたらされる悲しみ…みたいな心持ちは僕にとって大事なこと。筋は忘れても心持ちは残るんですよ」

 

その言葉は自らの創作姿勢とも重なる。

 

「40何年、小説を書いてきた間に社会も変わってきている。でも、何かを求める心のあり方、というのは変わっていないと僕は思う。だからそういうものを書きたいように書き続けるしかない。テーマがどうだ題材がどうだと考え始めるときりがないし、物語の自然な勢いが弱まってしまいます。僕が訳してきたいろんな作家から学んだことですね」

 

映画「ドライブ・マイ・カー」の原作を収めた村上春樹さんの短編小説集『女のいない男たち』(文春文庫)

 

悲惨な戦争に「無力感を感じる」

 

自作短編が原作の映画「ドライブ・マイ・カー」(濱口竜介監督)が、米アカデミー賞国際長編映画賞に輝いた。実際に上映館に足を運んで観(み)た村上さんは「面白かった」と話す。「僕は正直、映画をあまり原作に忠実に作られると、観ていて緊張してしまいます。濱口さんの映画はセリフも筋もずいぶん変えてあった。どんどん変えてもらう方が、うれしいんです」

 

ロシア軍によるウクライナ侵攻後の3月には、DJを務めるTOKYO FMの「村上RADIO」で特別番組を組んだ。反戦歌を流して静かに平和を訴える放送は反響を呼んだ。

 

「意味のない悲惨な戦争だし、一刻も早く終わってほしい。(番組で)プロテストソングをかけたらほとんどが1960年代に作られた曲。その当時から反戦運動はずっと続いてきたけれど結局何も変わっていない気がして、無力感も感じます。でもやっぱり声をあげ続けていくしかない」

 

村上さんといえば「走る作家」だ。忙しい執筆活動の中、週に3、4日はランニングに励む。年に一度のフルマラソン挑戦も続けている。

 

「結局、体力と集中力がないと小説は書き続けられない。僕は長距離ランナーだから後半勝負だと思ってやっています。小説家のいいところって長持ちすることなんです。だからあとは体力が大事になる。フルマラソンが走れている限り長編小説を書けるんだろうな、という気持ちはありますね」

 

となると次の長編が気になるが、そこはやはり企業秘密らしい。

 

「書き終えるまで、小説を書いてるって誰にも言わないんですよ。じっと黙っている。それで、書き終えたら(原稿を入れた)USBを編集者に『はいっ』と渡す。その驚く顔を見るのがささやかな楽しみです」

 

筆者:海老沢類(産経新聞)

 

 

フランシス・スコット・フィッツジェラルド Francis Scott Fitzgerald
1896年、米ミネソタ州セントポール生まれ。1920年のデビュー作『楽園のこちら側』が絶賛される。美貌の妻ゼルダとの派手な私生活も注目を浴び、一躍時代の寵児に。ヘミングウェイらと同様、米国の「失われた世代(ロスト・ジェネレーション)」の一員にも数えられる。代表作に25年刊の長編『グレート・ギャツビー』など。40年に『最後の大君』を執筆中に心臓発作で死去。

 

 

2022年4月30日産経ニュース【学芸万華鏡】を転載しています

 

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