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最近、気になる経済用語に「悪い円安」がある。かかる価値判断の形容詞がついた言葉は、少なくとも政策論議をする際には避けたいものだと思う。
為替のため金融政策変更なし
それでも「悪い円安」と言いたくなる人の気持ちは、正直わからぬではない。円安は日本人の購買力が低下することを意味するし、実際に困っている人は多い。そして日米金利差の拡大を考えると、すぐには止まりそうにない。
だからといって、日本銀行に対して今すぐ金利を上げろ、というのは暴論に過ぎる。現在の金融政策は、デフレからの脱却を主目的として実施されている。たまたま今は物価目標2%を超えているとはいえ、それが賃上げを伴う持続的なトレンドになっているかといえばそこは大いに疑わしい。
10年目を迎えた「黒田緩和」の有効性については、あらためて検証する必要があるだろう。それでも、目先の為替のために金融政策を変更するという判断はあり得ない。
また9月22日には財政当局による為替介入が行われたが、これも万能の存在ではない。為替はあくまで市場メカニズムによって決まるべきものだ。介入によって急激な動きを止めることはできても、相場全体を動かすだけの力はないと考えるべきである。
そもそもあらゆる市場メカニズムには「泣き笑い」がつきものだ。円安は輸出産業にとっては追い風だが、輸入産業にとっては負担増である。輸入ワインの値段が上がって困る人がいる一方で、国産ワイン業者にとっては好機到来となる。大事なことは、円安をいかに生かすかだ。
現在の為替レートは「ドル高7分、円安3分」といったところであろう。米国は政策金利を3回連続で0・75%上げる急激な金融引き締めを行っており、ほぼ全ての通貨に対して全面高となっている。前年比で8%台に達する猛烈なインフレを抑制するためだが、このことは確実に世界経済を減速させる。ドルの独歩高はいずれ天井を迎えるはずである。
そもそも為替は、通貨間の力関係で決まるものだ。フェアバリューや「理論値」が存在せず、ときには大きく行き過ぎる。何かのはずみで、特定の通貨が売り込まれることもめずらしくはない。特に今のように市場が不安定なときは、投資家心理がヒステリックになっている。しばしば「イジメ」に似た現象が起きるものだ。
「実需の円売り」を減らせ
先月、英国のリズ・トラス新政権が減税策を打ち出したところ、いきなり英国債売りとポンド安に見舞われた。この手の「イジメ」に遭った際は、まずは「痛くないふり」をしなければならない。トラス政権はすぐに減税策を引っ込めたが、下手に抵抗していたらどうなっていたことか。暴走気味の市場と戦うことは厳に避けるべきである。
それでは日本政府が採るべき政策は何か。日米の金利差拡大を止めることは容易ではないが、足下の「実需の円売り」を着実に減らしていくことが肝要と考える。
8月の貿易赤字は単月で2・8兆円の規模に達している。原油、LNG、石炭など鉱物性燃料の価格が前年比で2倍、3倍に膨れ上がっているからだ。これだけ貿易赤字が増えれば、それだけ円売りドル買いが進む計算となる。
それでは収支を改善するためにはどんな手段があるのか。まずは当たり前の話だが、輸出を伸ばすことである。
足元の輸出は、円安のおかげもあって月間8兆円台と好調である。貿易品目で言えば、自動車はいま一つだが、鉄鋼や半導体製造装置の輸出は伸びている。
国内の原発の再稼働も急げ
問題はそれ以上の速度で輸入が増えていることだ。そこで第2に鉱物性燃料の使用を減らしていくことが望まれる。再生可能エネルギーの使用を増やしていくことは、中長期的な「脱・炭素」の目的にもかなっている。
それにとどまらず、原発の再稼働も急ぐべきである。日本国内の原発をフル稼働すれば、LNGの消費量を大幅に減らすことができ、その分をエネルギーの「脱・ロシア」を急ぐ欧州に回すことが可能になる。
今月から始まった水際規制の緩和に伴う外国人観光客の増加にも大いに期待したいところだ。コロナ禍で途絶えていたインバウンドは、ピーク時の19年には3188万人に達した。この年の旅行収支は2・7兆円の黒字であった。
インバウンドの増加による個人消費の拡大は、円安メリットを取り込む最もわかりやすい方法であろう。1ドル140円台での日本滞在は、いわばバーゲンセールのようなもの。外国人に「安い日本観光」を楽しんでもらうことは、リピーターを獲得することにもなるし、コロナ禍でつらい思いをしてきた観光産業を潤してくれるはずである。
「悪い円安」を嘆くのが能ではない。足元の円安をいかに生かすかを論じたいものである。
筆者:吉崎達彦(双日総合研究所チーフエコノミスト)
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2022年10月18日付産経新聞【正論】を転載しています