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「現状の自分を把握できた」-。課題と収穫を得たその表情は、充実感に満ちていた。東京パラリンピックの開幕まで3カ月のタイミングで迎えた競泳のジャパンパラ大会(5月21~23日)。2019年のパラ競泳・世界選手権男子100メートルバタフライで優勝し、自身4度目の代表に内定している全盲のエース、木村敬一(東京ガス)は、10日間の競技日程で実施されるパラ本番を想定し、同大会のレースに臨んでいた。
木村はバタフライ、平泳ぎ、自由形、個人メドレーで世界のトップレベルに立つ万能スイマーだ。最も得意とする100メートルバタフライでは、1分1秒12の世界新記録に0秒05差まで肉薄する。ただ、出場種目数が増えれば、心身ともに負担は大きくなる。遡ることパラ開幕半年前の今年2月、木村は産経新聞のインタビューにこう明かしていた。
「メダルが取れるかなと思うと、なかなか種目を捨て切れない。だから5月の大会では、パラ本番と同じスケジュール感でレースをこなしてみたい。30歳になって体に無理が利くのか興味があり、無理だなと思ったら種目を絞ることも考える」
3日間の大会には100メートル平泳ぎ、100メートル自由形、100メートルバタフライにエントリー。その大会7日前から、練習拠点のプールでレース本番を想定し、200メートル個人メドレーと50メートル自由形のタイムトライアルを実施した。迎えた大会の2日目、100メートル自由形は59秒10の自己ベストをマークし、「大満足」と胸を張った。
ところが、タイムトライアルを含めて10レース目となった大会最終日、本命の100メートルバタフライ決勝では1分2秒95と振るわなかった。パラ本番でもこの種目は大会最終日に行われる。「このままでは優勝できない。疲れが残っていたのかな」と唇をかんだ。
自らの意思で本番を想定したレースを行い、浮き彫りとなったこの課題が一番の収穫だろう。今後、種目数を絞る可能性を示唆した上で、「強化は順調」とした言葉にもうなずける。
2歳のとき、先天性疾患で視力を失った。もともと体を動かすことが大好きで、ぶつかったり転んだり、けがが絶えなかった。小学4年になり、母の正美さんに「ここだったら安心安全。どんなに動いても大丈夫」と連れて行かれたのが、スイミングスクール。友達と競うように、夢中で4泳法を習得した。
パラリンピックには18歳のとき、08年北京大会に初出場。12年ロンドン大会と16年リオデジャネイロ大会で計6個のメダルを獲得した。その中に、金メダルはない。
東京パラに競技人生の全てを懸けている。会話や手触りが大切な情報源である木村にとって、コロナ禍でのコンディション作りは困難を極めるが、「(感染対策こそ)自分たちのパフォーマンスを向上させたり、体調を維持したりと、いい方向に向いている」とプラスに捉える。
もちろん、国内の東京五輪・パラの中止を求める声は木村の耳にも届いている。木村は以前のインタビューで、開催実現への強い思いを語っていた。「大会が感染をさらに広げる恐れがあるのは分かっている。何も収まらず、ひどくなった状態なら、さすがに僕でも(開催を)やめた方がいいんじゃないかなと思う。ただ、開催してほしいと願う気持ちを選手が持たなければ、それ以上に(強い思いを)持ってくれる人はいない。僕は開催を信じている」
そして、こう続けた。「開催へ向けた(個人や全体の対コロナへの)努力は、社会を取り戻す努力につながる」-。だから全盲のエースは歩みを止めない。まだ手にしていない世界の頂きだけを目指して。
筆者:西沢綾里(産経新聞運動部)