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中国に広がる「日本の文化」

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3月12日、中国上海市で「上海桜祭り」が開幕し、会場となる市内の顧村公園には大勢の市民が花見に訪れた。新華社通信も盛況ぶりを写真付きで報じ、開幕後初めての土日には約20万人の花見客が足を運んだという。

 

顧村公園で桜祭りが始まったとき、日本から河津桜やソメイヨシノなどの品種を導入して育てたという。新型コロナ禍前の2019年には、延べ165万人以上の市民が参加したと記録されているから、上海市民の一大イベントとしてすっかり定着している。

 

中国全国で「桜の名所」となっている場所は多数ある。武漢大学キャンパス内の桜が最も有名であるが、それ以外にも北京市内の玉淵潭、南京の玄武湖畔、無錫の太湖畔、杭州の太子湾などが著名な花見スポットである。

 

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中国では昔から、春を代表する花は「桃・李(すもも)」であるから、桜を楽しむ習慣はあまりなかった。

 

だが、この数十年間、明らかに日本からの影響で、あちこちで桜の木が植えられ、桜の名所が続々と誕生し、多くの中国人が日本人のように花見を楽しむようになっているのである。

 

Chinese guests photographing cherry blossoms in full bloom. "Hanami" is spreading in China = Osaka Castle Park in Chuo-ku, Osaka in 2015

 

中国人がまねしているのは花見だけではない。近年では、全国各地で日本の商店街や繁華街を模倣した「日本街」が続出している。例えば蘇州市内の「淮海街」という昔からの通りは、いつの間にか日本語の看板を掲げるお店がずらりと並ぶ「日本街」に変身してしまった。

 

広東省の仏山市では、東京の歌舞伎町を模した「一番街」という町が一からつくり上げられたという。遼寧省の大連では京都の清水寺へ上っていく二寧坂や産寧坂をイメージした商店街の整備が推進されているのである。

 

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こうした動きの背景には、日本的生活様式や生活文化に対する好感度と関心の高まりがあろう。

 

改革開放の初期段階の1980年代、映画・アニメ・歌謡曲などの日本の大衆文化が中国で一世を風靡(ふうび)した時代もあったが、当時の中国人にとって、それは単なる憧れの「異国物」であって自分たちのものではなかった。

 

だが今、多くの中国人は部分的ではあるが、日本人の生活文化を自分たちのものとして、自分たちの世界の中に取り入れようとしているのである。

 

Wuxi City, Jiangsu Province, China

 

おそらく多くの中国人にとって、「日本的なもの」は大変魅力的であるのと同時に、まさにこの「日本的なもの」においてこそ、自分たちが失ってしまった「古き良き中国」の文化的薫りを感じ取っているのであろう。

 

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飛鳥時代以来、日本人が中国から多くの文化的要素を摂取したのと同様、今の中国人は逆に、日本から文化を取り入れようとしている。このような現象は、日中文化交流史上において実に興味深い。

 

われわれとしては、中国共産党政権の覇権主義的膨張は最大限に警戒すべきだし、彼らが持ち出してくる“下心満杯”の「日中友好」の言葉を真に受け止める必要は全くない。

 

その一方で、多くの中国人が「日本的なもの」に憧れてそれを摂取しようとする動きはむしろ歓迎すべきであろう。

 

中国だけでなく、人との調和を重んじる「和の文化」やそこから発する、もてなしの文化、あるいは自然との共存を大事にする日本的自然観など、日本文化のエッセンスたるものが世界中に広がるのは良いことだ。世界への日本の貢献なのである。

 

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筆者:石平(せき・へい)
1962年、中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。88年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。『謀略家たちの中国』など著書多数。平成19年、日本国籍を取得。

 

 

2021年3月25日付産経新聞【石平のChina Watch】を転載しています

 

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