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五輪中止運動から何を読み解くか

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都庁前の奇妙な光景

 

東京五輪開幕まで1カ月となった6月23日夕方、新宿区の東京都庁前では奇妙な光景がくり広げられていた。200人ほどが「NO! Olympic」の横断幕を掲げ「中止だ! 東京五輪」「感染五輪反対!」などのプラカードを手に五輪中止を叫んでいる。

 

一方、五輪開催支持者も現れ、「これなら五輪はできるでしょ。あなたたちの“密”が証明している!」などの声を投げつけ、一触即発に。中止運動は午後7時まで続き、その後はデモ行進となった。私は欧米に比べ感染者が何十分の一にすぎない日本で起こっている現象を海外の人々はどう見るのだろうか、と思った。

 

平成25年9月、激しい招致合戦の末、開催の栄誉を勝ち取った東京。東日本大震災からの復興アピールと「おもてなし」の力でライバル都市に競(せ)り勝った日本は、歓喜と同時に大きな「責任」を負った。祖国の名誉をかけて五輪で栄冠を勝ち取ろうとする世界のアスリートたちに敬意を込めて「晴れ舞台を用意すること」である。

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その責任ある日本が、感染者が日本よりはるかに多い米国や英国で、メジャーリーグや全英テニス、サッカー欧州選手権などが行われているのに「なぜ五輪を中止できるのか」という常識が私にはある。自ら負った責任と使命に対する日本国民としての「自覚」と言いかえてもいいだろう。

 

秩序ある社会、世界一の治安、衛生大国…日本に対して国際社会が持つイメージは、そのまま「オリパラが東京開催でよかった」という思いに繋がっている。それは「日本人なら石に囓(かじ)りついても安心・安全なオリパラをやってくれる」という期待に基づくものだろう。これこそ先人によって営々として築かれてきた日本観だ。

 

海外の観客をストップし、選手には入国前のワクチン接種と連日のPCR検査を課し、しかも選手村と競技場の往復だけに限定し、競技が終わったら素早く帰国してもらう-組織委員会は、選手に競技だけに徹してもらい、責任ある開催を全うしようとする。だが実際には五輪返上運動が今なお、行われているのだ。

 

 

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反対のための反対

 

原因は日本のメディアが抱える重大な病巣にある。新聞もテレビも、稚拙な“反対のための反対”を展開し、目を背けたくなる報道を続けているのだ。6月24日の西村泰彦・宮内庁長官の発言を巡る報道も見るに耐えないものだった。発言の一部を切り取って問題化する“いつもの手法”で世論が誘導された。発言は「開会式や競技観戦の調整はどうなっていますか」との質問に答えたものだ。

 

「関係機関と調整中です。天皇陛下は現下の新型コロナウイルスの感染状況を大変心配されています。国民の間に不安の声がある中で、ご自身が名誉総裁をお務めになる五輪・パラリンピックの開催が感染拡大に繋がらないか、ご懸念、ご心配であると拝察します。五輪・パラリンピックで感染が拡大するような事態にならないように、組織委員会をはじめ、関係機関が連携して感染防止に万全を期していただきたい」

 

変異株拡大が懸念される中、感染防止に万全を期してほしい、との陛下の当然のお気持ちである。だが、日本のメディアにかかれば、〈五輪懸念「拝察」広がる波紋 野党「象徴制揺るがす」〉(朝日)に代表されるように「陛下は中止を望んでおられる」との印象操作が行われたのだ。

 

 

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“内なる敵”との闘い

 

事実とは異なる“誘導報道”は、森喜朗氏が発言切り取りで組織委員会会長の座を追われたことも忘れられない。「女性は優れているので(理事に)欠員が出たら必ず後任に女性を選ぶ」という話が、前段の「女性が沢山入っている会議は時間がかかる」との箇所(かしょ)だけを抜き取られ、凄(すさ)まじいメディアリンチに遭った。また内閣官房参与の高橋洋一氏が欧米のコロナ感染者数との比較のグラフを入れて日本を“さざ波”とツイートした際も執拗(しつよう)な攻撃で辞任に追い込まれた。これらの報道はツイッターと連動し、それを増幅させる役割を果たしている。

 

世論誘導のためにSNSを利用し始めたのは、日本共産党が最初だ。平成25年5月、共産党中央委員会が32万党員に「ツイッターとフェイスブックを始めよ」という指令を出した。以来、共産党という名を隠して運動を展開できるSNSを同党は見事に利用。ツイデモ(ツイッターによるデモ)等を通じて一定の方向に世論を誘導するためである。元共産党推薦都知事候補の宇都宮健児氏が40万を超える五輪反対のオンライン署名を集めたのもその一つだ。容共リベラル勢力の揺るぎない運動の柱となったこの手法を私は「新・階級闘争」と名づけている。

 

彼らの特徴はすべてが政治闘争の一環であり、日本の信用失墜を厭(いと)わない点にある。日本人の誇りはどこへ消えたのかと嘆く前に私たちはこうした“内なる敵”と真正面から闘っていくことを強く自覚しなければならないのである。

 

筆者:門田隆将(作家・ジャーナリスト)

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2021年7月2日付産経新聞【正論】を転載しています

 

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