柳錫春教授(YouTubeから)
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「韓国は重要な隣国だが、価値観を共有しているとは言えない」。これが、現在の日本政府の隣国に対する評価だ。
2014年までは価値観の共有を認めていた。当時の安倍晋三首相は、「韓国は、基本的な価値や利益を共有する、最も重要な隣国」と演説している。だが、その後、朴槿恵大統領(当時)に関する記事をめぐって産経新聞のソウル支局長が起訴されるという事件が発生し、安倍首相は、2015年の施政方針演説で「韓国は、最も重要な隣国です」として「価値観共有」という評価を取り下げた。
その後、2018年10月に韓国最高裁が1965年の国交正常化の際に両国が解決したと合意した日本統治時代の清算について、日本の統治が当初から不法なものだったから賠償責任が残っているという国際法違反の判決を下す等の出来事があり、日本政府は継続して韓国に対して、「価値観を共有する」という評価をしていない。
残念ながら、この日本政府の評価は今後も、変わりそうにない。その理由の一つが、韓国は「学問の自由」という基本的価値観を共有していないのではないかと強く疑わせる現在進行中の刑事裁判だ。
2019年9月17日、韓国の名門私立大学である延世大学社会学科の「発展社会学」という講義で、著名な社会学者である柳錫春教授が、例年通り「韓国の発展において日本帝国主義植民地時期の役割についてどのように評価するか」という主題で受講生と討論を行った。
その内容が秘密録音され、外部のマスコミに持ち込まれて柳教授は激しい非難を浴び、「発展社会学」講座は学期の途中で学校当局によって打ち切られ、柳教授は学内で懲戒処分を受けた。騒ぎはそれで終わらず、講義の受講生ではない外部の運動団体「庶民民生対策委員会」(事務総長・金スンファン)と韓国挺身隊問題対策委員会(以下、挺対協、代表理事 尹美香(当時))が柳教授を刑事告訴した。そして、驚くべきことに韓国の検察は昨年11月3日、柳教授を名誉毀損罪で在宅起訴し、現在、大学教授が講義の中で行った発言を理由に刑事裁判が進んでいる。
では、柳教授はどのような発言で刑事責任を問われているのか。それは次の3点だ。
- 「日本軍慰安婦のおばあさんたちが売春に従事するため自発的に慰安婦になった」という趣旨で虚偽事実を発言。
- 「挺対協が、日本軍に強制動員されたと証言するように、慰安婦おばあさんたちを教育した」という趣旨で虚偽事実を発言。
- 「挺対協の役員たちは統合進歩党の幹部であり、挺対協は北朝鮮と連携していて、北朝鮮を追従している」という趣旨の虚偽事実を発言。
この3つの点について、柳教授は次のように具体的に反論している。
まず、1つ目の柳教授が「自発的に慰安婦になった」という虚偽発言をした、とする検察の主張についての反論を紹介しよう。
柳教授は、講義中、「自発的に慰安婦になった」とは話していない。正確な表現は、慰安婦たちが「自意半、他意半」で売春行為に入るようになった、である。これは受講生の誰かが承諾なしに録音して外部に公開したテープの記録にも残っている。
柳教授は、「自意半、他意半」という用語を、貧乏という構造的条件に特定の個人が反応して慰安婦になるという状況を説明しようと選択したと説明する。貧困から抜け出すためにお金を稼がなくてはいけないと考える過程に、民間の就職詐欺師が介入した状況について、「自意半、他意半」という表現をしたというのだ。
したがって、この発言は虚偽の発言ではなく、真実に基づいた発言である。柳教授は、講義の中で、売春に従事することになる慰安婦の選択が100%自発的だという趣旨の発言をしていない。
一方、柳教授は「自意半、他意半」という問題は、今日の売春にも同じように現れている問題だ、と指摘する。なぜなら、起訴状も認めたように、現在の性産業に従事している女性たちも過去の慰安婦と同じく「経済的見返りを得るために職業として売春に従事することを自発的に選択した」と見ることができないからだ。
だから、柳教授は、もし「自意半、他意半」のいう発言が虚偽発言であるなら、売春に関する学術的研究成果を根こそぎ否定する結果をもたらすだけだ、と強調し、自分の発言は過去に存在した、そして今日にも存在する売春の属性を比較研究する必要があることを強調した講義室での学術的な発言に過ぎないと主張する。
次に柳教授が「挺対協が慰安婦お婆さんを教育した」という虚偽発言をしたという検察の主張についての反論だ。
柳教授は、挺対協はこれまで30年間、毎週水曜日に開催するいわゆる「水曜集会」を通して慰安婦おばあさんたちを持続的、そして周期的に集会に参加させ、挺対協の立場とスローガンを繰り返して聞き、一緒に叫ばせてきた、という事実を指摘し、この過程で挺対協は慰安婦たちに「自意半、他意半」で慰安婦生活に入ったという事実から目をそらさせ、「強制動員」されたものと考えさせる効果を得た、と反論する。
そのことは、挺対協が1990年代から2000年代初めまでにシリーズで出版した本『強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』(1~5巻)に登場する慰安婦たちの初期の証言と、慰安婦たちの最近の証言を比較すると明確に証明できると、柳教授は主張する。
初期の出版物ではそれぞれの慰安婦たちが「自意半、他意半」で慰安婦生活に入って行く過程を赤裸々に確認しているが、最近の慰安婦たちの証言は「強制動員」の方向に話しが変わっており、この証言の変化は、尹美香ら挺対協関係者が本などに書いている慰安婦「強制動員」の記述と一致する。柳教授は、このような変化の過程を「教育」と表現をしたと主張する。
3つ目の「挺対協の役員は統合進歩党幹部」という虚偽発言をしたとする検察の主張への柳教授の反論だ。
柳教授によれば、挺対協の「役員」が統進党幹部だと発言したのではなく、挺対協の「幹部」と統進党幹部が重なっているという趣旨の発言をした、という。そして、柳教授は、これは方ヨンスン、崔ジンミ、孫ミヒなどのような人物の存在で裏付けられる事実だという。
確かに、インターネットメディア「メディアウォッチ」2019年10月11日によると、正義記憶連帯(挺対協が改称)の方ヨンスン理事と崔ジンミ理事、そして挺対協の孫ミヒ元対外協力委員長は統合進歩党で主要な活動をしてきた人物だったと報じている。同記事によると、方ヨンスン理事は統進党全羅北道党委員長や統進党の第19代総選挙全州徳津の国会議員候補だった。崔ジンミ理事は2012年に統進党の第19代総選挙共同選挙対策委員会に参加し、統進党の後身である民衆連合党の金ソンドン大統領選候補の共同選挙対策委員長を務めている。孫ミヒ元対外協力委員長は統進党の第19代総選挙共同選挙対策委員会の委員長を務め、統進党の後身である民衆連合党(当時仮称、新民衆政党)創党発起人を務めている。
柳教授はこれらの事実を指して挺対協の幹部と統進党幹部が重なっていると発言したという。
柳教授は結論として「私がしたことは、講義室で学生たちと歴史的な事実、より具体的には慰安婦問題、そして慰安婦と関連した活動をする挺対協に関する様々な争点について事実を基礎にした学術的討論をして私の意見を表明しただけ」と語る。この反論は大変説得力がある。
ところが、検察は大学教授が大学の講義で行った発言を問題として刑事事件の犯人として裁判にかけている。これはあきらかに学問の自由に対する侵害だと言わざるを得ない。
私を含む、日本、米国、韓国の学者はこの韓国検察の起訴に対して強い危機感を抱き、8月13日に「柳錫春元延世大学社会学科教授に対する起訴を憂慮する日韓米学者共同声明」を発表した。そこでこう述べた。
《私たちは今回の検察の起訴が韓国の高等教育に対する深刻な侮辱だと考えます。大韓民国は朝鮮戦争の焼け野原から立ち上がり、現在はその所属する地域ではもちろん国際社会でも相当な影響力を持つ自由民主主義国家です。ここ数年間、韓国の高等教育システムは一層の発展を遂げており、今日では、世界中の学生が韓国の大学に進学しています。しかし、残念なことに今回の柳教授に対する起訴は、開かれた討論と自由な意見交換がなされなければならない象牙の塔にも「検閲の文化」が次第に忍び込んでいることを示しています。私たちは大学において学問の自由と表現の自由は断固として保護されるべきだと思います。》
日本人学者17人、韓国人学者30人、米国人学者25人が署名している。米国人署名者の中には著名は左派学者Noam Chomsky (Professor Emeritus, Massachusetts Institute of Technology) が含まれている。慰安婦問題に関する柳教授の学説に同意はしないが、大学での講義が理由で刑事事件の犯人として起訴されている韓国の現状を学問の自由の危機とみるという点で意見を一致した学者が多数いるということだ。
引き続き、この裁判について、世界の学者らが学問の自由という観点から注視し続けていくべきだと強く思っている。
筆者:西岡力(麗澤大学客員教授)