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10月にポーランドで開催された「第18回ショパン国際ピアノ・コンクール」で、日本人として半世紀ぶりに2位に入賞したピアニストの反田(そりた)恭平(27)が帰国した。東京などで〝凱旋(がいせん)〟公演を行う。「2位は悔しいが、これからが本当の勝負」と、今後の国際舞台での活動に強い意欲を示すとともに、コンクールに向けた周到な準備の舞台裏を明かした。
「運転免許証を取ったのと違い、2位になったから何ができるというわけでもない。すごいことをやったのかなということは、最近少しずつ感じ始めているところです」と今の心境を語る。
実際、すごいことをやった。日本人が2位に入賞したのは、51年ぶりの快挙だ。
出場に向けた準備は、前回(2015年)が終わった頃から着々と進めた。
例えば、コンクールで弾く曲を決めるのは、まず、2005年と10年の予備予選からの出場者800人がコンクールで弾いた全曲をリストアップすることから始めた。そこから、より多く弾かれた曲を抽出し、さらに予選の通過率でふるいにかけ、残った曲をコンサートで実際に弾きながら自分に合うものを探した。
ビジネスでいうところのPDCA(計画、実行、評価、改善)サイクルの実践のようなものだが、実はピアニストであると同時に、自身の楽団の円滑運営のために設立した会社の社長でもある。
また、「力むことなく審査員席までピアノの音を届けたい」と考え、肉体改造にも取り組んだ。
ロシア留学中、長身のピアニストの演奏に「こんなにも遠くまで音が届くのか」と驚かされた経験があった。「骨格は変えられないから、筋肉をつけよう」とパーソナルジムに1年通った。
だが、筋骨隆々だと音がやや硬いと判明。「高齢の巨匠たちの手は脂肪で厚く、ふくよかな音が出る」と、こんどは1年かけて筋肉を減らし、理想の音が出るまで脂肪をつけた。ロシア留学時の体重は49キロ。ボクシングならフライ級だったが、70キロとミドル級になってコンクールに臨んだ。
サッカー選手になって、ワールドカップ(W杯)に出るのが夢だったが、11歳で諦めた。12歳のときテレビで、ショパンコンクールの特集番組を見た。音楽の世界にもW杯があるのか! その日以来、ショパンというW杯を目指した。
「2位は悔しい。初めて日本人が優勝できるのではないかと注目されていたのに」と本音も明かす。ただ、「生きているうちに日本人が優勝する場面を見届けたい。後輩たちへのサポートに力を入れたい」と続けるのが、この人らしい。
ともかく「楽しかった」と振り返る。「12歳からあこがれていた。楽しんで弾くことが何よりも大切だと思った」。1~3次の予選をへて進出した本選では、ピアノ協奏曲第1番を弾きながら笑みがこぼれていた。
日本ではデビュー当時からチケットが入手困難の人気ピアニストだが、世界への扉が一気に開いた。「ここからが勝負。力量が問われるところ。気を引き締めています」
筆者:石井健(産経新聞)
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■反田恭平(そりた・きょうへい)
平成6年生まれ、東京都出身。高校在学中に第81回日本音楽コンクールピアノ部門1位。2014(平成26)年、チャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院に首席で入学。15年、イタリアの「チッタ・ディ・カントゥ国際ピアノ協奏曲コンクール」古典派部門で優勝。17年からポーランドのショパン国立音楽大学研究科。平成28(2016)年の東京・サントリーホールでのデビュー・リサイタルで2000席が完売する人気ぶり。結成した楽団の円滑運営などのため今年5月、ジャパン・ナショナル・オーケストラ株式会社を設立、社長に就任した。
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ショパン国際ピアノ・コンクール クラシック音楽における世界3大コンクールの一つ。5年に一度、ショパンの故郷であるポーランドの首都、ワルシャワでショパンの命日である10月17日の前後3週間に開催。本来は昨年開催だったが、コロナ禍で1年遅れた。ショパンの作品だけで腕を競う若手ピアニストの登竜門で、参加資格は16歳以上、30歳以下。今回は世界各国で予備予選を勝ち抜いた87人(14人が日本から)が出場。1~3次予選をへて、12人が本選に進んだ。日本人の2位は1970年の内田光子以来。日本人で優勝者はいない。
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12月22日からは「凱旋コンサート」と銘打ち、沖縄や東京など5都市を回る。来年3月5日(兵庫県立芸術文化センター)、8日(ミューザ川崎シンフォニーホール)には「東芝グランドコンサート2022」で、プロコフィエフの「ピアノ協奏曲第3番」を、ダーヴィト・アフカム指揮のスペイン国立管弦楽団とともに弾く。