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軍事演習と称して、13万人前後の大兵力をベラルーシ、クリミア、そして東部ウクライナ国境の三方向から結集させるロシア。2008年のジョージア(グルジア)侵攻、14年のクリミア侵攻―ロシアにとってはいずれも成功体験―の際にも見られたように、こうした兵力動員はロシアが武力による現状変更に踏み切る際の常套(じょうとう)手段だ。もっとも、過去と違って「(露大統領の)プーチンに侵略の意志はなく、威嚇によって外交交渉を有利に進めるのが狙いだ」と主張する専門家もいる。すなわち、ロシアの行動は、ウクライナの北大西洋条約機構(NATO)加盟を阻止する確約を米国から得るための外交的カードにすぎないとの見方だ。
しかし、ロシアの属国へとなり下がったベラルーシに続き、ウクライナも影響下に置ければ、ロシアは西部国境沿いの緩衝地帯をさらに南へと延長でき、それに伴う勢力圏拡大によってプーチンが夢見る「偉大なロシアの再興」に弾みがつく。大国の独裁者の野心はどの時代でも途方もなく大きいが、プーチンのように70歳目前とあれば、なおさらレガシーを意識する。そもそも、威圧による外交的駆け引きだけが目的なら、この規模の兵力はもとより、その移動に莫大(ばくだい)な費用を要する数多くの戦車や重火砲などの兵器体系をわざわざ前線に展開するのは合理性を欠く。
加えて、外交交渉においてロシア側が低姿勢かつ真摯(しんし)な姿勢に徹している事実も不安を助長する。侵略の意志がないのであれば、ロシアの外交官はより傲慢な態度を取るであろう。それが、今回はあえて米国が首肯できない条件を提示し、外交的解決をまず試みたという大義を手に入れてから侵略を正当化しようとする意図が見え隠れする。それゆえ、プーチンは駆け引きではなく、ウクライナ侵攻を真剣に考えていると見なすのが妥当だ。
今後の行方だが、ロシアは得意とするハイブリッド戦を仕掛ける可能性が高い。つまり、サイバー攻撃を仕掛けたのち、記章なき特殊部隊をウクライナに潜入させて攪乱(かくらん)工作を行う。そして、地面が完全に凍りつき、戦車の通過が容易でないぬかるみが解消された時点で総攻撃に転じる。これによって現状変更に成功すれば、ロシアの威信回復につながるのみならず、熱狂的なナショナリズムに酔いしれる国民からも圧倒的な支持を得て、独裁者としてのプーチンの地位はより盤石となる。
では、なぜロシアは欧米と対立することにしたのか。その理由は複数考えられる。まず、新型コロナウイルスのワクチン接種はおろか、昨年1月6日の議会襲撃事件の捉え方についてすら世論が集約されないほど現在の米国は分断されているが、こうした国家は脆弱(ぜいじゃく)に映る。次いで、高齢であり、かつ自党すらまとめられない大統領、バイデンからすごみは何ら感じられない上に、「地上軍は投じない」と早々に明言したのでは軽んじられてしまう。当然、尻尾を巻いてのアフガニスタンからの撤収も米国の弱さを印象づけた。
また、オバマ政権の「アジア・ピボット」政策への回帰を目指したバイデンは、中国を最大の脅威と認識し、ロシアを軽視した。その結果、米軍の戦略的重心は徐々にインド太平洋にシフトしているが、これが隙を生じさせ、国益を最大化するまたとない機会としてプーチンが捉えたとしても驚きはなかろう。
万一、ウクライナ有事となって欧州情勢が危機に陥った場合、中国はこれを勢力圏拡大のための千載一遇の好機と認識し、台湾に対する圧力を一気に強化する可能性もある。この際、日本は欧州からの援助は到底期待できず、二正面作戦を強いられる米国の援護も抑制されよう。だからこそ、日本の防衛はまずもって日本が主体的に行う必要があり、日本が取るべき行動は、「同盟強靱(きょうじん)化」よりもまず先に「自国強靱化」ではあるまいか。
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筆者:簑原俊洋(みのはら・としひろ)
米カリフォルニア州出身。カリフォルニア大デイビス校卒。神戸大大学院博士課程修了。政治学博士。神戸大大学院法学研究科教授。専門は日米関係、国際政治、安全保障。
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2022年1月22日付産経新聞の記事を転載しています