Gunkanjima Battleship Island

Photos of former residents of Gunkanjima in Nagasaki at the Industrial Heritage Information Center in Shinjuku, Tokyo, March 30, 2020. (© Sankei)

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「展示改めよ」への疑問

 

長崎市の端島(はしま)炭坑(通称・軍艦島)を含む世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」について、ユネスコ(国連教育科学文化機関)は7月22日、戦時徴用された朝鮮人労働者に関する「産業遺産情報センター」の説明が不十分だとして「強い遺憾」を盛り込んだ決議を採択した。決議に付されたユネスコとイコモス(国際記念物遺跡会議)の合同調査報告書は、日本政府が東京都新宿区に開設した「産業遺産情報センター」の端島炭坑の展示に対し、「犠牲者を記憶にとどめる」措置としては「より暗い側面」を含め「多様な証言」を提示するよう求めている。

 

決議に呼応し、7月27日の朝日新聞に「産業革命遺産 約束守り、展示改めよ」という社説が掲載された。「必要なのは、情報センターのあり方を改めることだ。犠牲者の記憶の展示と情報発信を確立するよう、幅広い専門家の意見を仰がねばならない。どの遺産であれ、多くの歴史には陰と陽の両面があり、その史実全体を認めてこそ世界共有の財産になりうる。日本政府は決議を謙虚に受け入れ、ユネスコとの約束を果たすべきだ」との主張である。

 

朝日新聞の言及する「史実」とは何を意味するものなのだろうか。私は平成27年に「明治日本の産業革命遺産」が登録されてから、端島については元島民たちと共に、一次情報や証言を集め、戦時中の端島の暮らしや労働について真正面から向き合ってきた。社説をみた端島元島民から「到底受け入れられない。なかったことを有ったことにするのか」と抗議のメールや電話が相次いだ。

 

だが朝日のこのような論調は今に始まったものではない。産業遺産情報センターが開館して以来、一貫して端島の展示に不満を表明してきた。昨年7月には社説で情報センターの端島元島民の証言の展示内容が問題であると言及し、「朝鮮半島出身者の労務動員に暴力を伴うケースがあったことや、過酷な労働を強いたことは、当時の政府の公文書などで判明しており、日本の裁判でも被害事実は認められている」と論評した。

 

 

ユネスコと朝日の論調同じ

 

このような史実は実際に端島にあったのだろうか? 端島元島民たちが政府に確認したところ、結局そのような公文書はみつからなかった。さらに元島民は弁護士を通じ、三菱マテリアルに「終戦までの端島及び端島以外の『三菱』経営の炭鉱現場に関し、【1】朝鮮半島出身者に対する(ア)暴力や虐待(イ)差別的な扱い(ウ)過酷な強制労働並びに労務動員に暴力を伴うケースのいずれかが認定された裁判例が存在するのか」と問い合わせた。同社からは「弊社が国内裁判で被告になっている事例はございません」との回答を得ている。つまるところ端島に関しては、朝日の主張するような、朝鮮半島出身者が、奴隷労働を強いられたと証明するような裁判事例も政府の公文書も存在しない。

 

では何を根拠に、公文書や裁判事例に言及したのであろうか。朝日に問い合わせたところ次のような回答(昨年8月)を得た。それによると「この記述は、当時の徴用工の労働現場一般についての言及で、端島に特定して記述したものではありません。日本国内で上記のようなケースがあったことを示す公文書などがあることは公知の事実です」とのことである。

 

残念ながら、今回のユネスコの決議と朝日新聞の社説の論調は同じである。「あっただろう」ということを前提に、「端島の犠牲者を記憶にとどめるための適切な措置」として、「暗い側面」の展示を要求した。だが立ち止まってよく考えてほしい。ユネスコも朝日もここでいうところの犠牲者をどのように特定するのだろうか。

 

 

センターの「あり方」は一貫

 

犠牲者という言葉を使うのであれば、その犠牲者とは誰かを定義し、その存在を立証する必要がある。立証するには被害の実態を明らかにする証拠が必要で、その被害を裏付ける史料や複数の証言も重要である。犠牲者がいるということは、そこに加害者がいるわけである。公文書も裁判例もないなかで弱者に寄り添う正義感から罪のない元島民に汚名をきせ、冤罪(えんざい)をつくることはしてはならない。

 

情報センターでは今後、端島の炭鉱事故について、確実な事故の記録があるものを、その時の記事や当事者の手記などを紹介していきたいが、あったかどうかも立証できない、あやふやな情報で島民の人権を侵害することはできない。証拠もないのに一般論を端島にあてはめるような安易な発想は間違いである。

 

歴史の解釈は「政治」や「運動」によるものではなく、一次史料や証言を基本としなければならない。歴史においては思想や正義の押しつけは危険である。歴史には百人の研究者がいたら、百人の解釈がある。情報センターの役割は正確な一次史料や証言を提供することであり、解釈は個々の研究者に委ねるべきだと思っている。情報センターがその「あり方」を改めることはない。

 

筆者:加藤康子(産業遺産情報センター長)

 

 

2021年9月20日付産経新聞【正論】を転載しています

 

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