選択肢に入った「台湾進学」 群馬
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群馬県の高校生の進学先として台湾の大学が存在感を高めている。群馬と台湾との関わりは日本統治時代から深いが現代は様変わりで、ITや語学教育で優位な台湾で4年間、学ぶ。
放課後の教室。日本語は禁止だが、片言の中国語が笑顔で交わされる。東京農大二高(群馬県高崎市)では2年前から連日、台湾の大学入試に向けて台湾人講師による「華語(中国語)講座」を開講中だ。講師の話術とゲーム形式の進行で言い間違いを恐れる雰囲気はなく、2~3時間があっという間に過ぎるという。生徒は週に最低2コマ、受験まで約1000時間受講する(現在オンライン)。
「生徒の習熟が早くて驚きました。英語の授業とは随分、違う」。担当の岡田雄嗣(ゆうじ)教諭は目を見張る。もう1つ驚いたのが関心の高さ。東京農大の紹介で講座開設に動き始めた一昨年春、最初の説明会には保護者を含め約100人が集まった。
講座には生徒30人が参加、25人が書類審査と面接による入試に挑み24人が合格、昨年9月から台湾で大学生活を始めた。進学先は日本統治時代の旧帝大が前身の最難関・台湾大や東海、中原など13大学。初年度の海外進学数としては異例という。
引っ張られるように県内では昨年10月、同高と共愛学園、明和県央、樹徳の私学4校が台湾の国立嘉義大、開南大など5大学と研修や奨学生の受け入れなどを優遇する協定を結んだ。
台湾のメリットは、まず年間40万円といわれる学費の安さ。諸物価の安さとともに魅力となっている。授業内容は充実していて、例えば日本では始まったばかりのプログラミング教育は「台湾の小学生が日本の高校生レベル」といわれるほど進んでおり、協定校の中には初歩から学べる「日本人向けコース」を用意した大学もある。授業では中国語以外に英語も必修。母語以外の2カ国語習得はグローバル化が進展する中、就職を考えても有利だ。そんな授業に苦労する日本人もいるが、世界で最も親日的といわれる台湾の人々の温かいサポートで乗り切る例も少なくないという。
日本統治時代の台湾で活躍した上州人は多い。教育界では中島長吉。台湾初の近代的学校「芝山巌(しざんがん)学堂」で日本語教育などにあたりながら、匪賊(ひぞく)に襲われ惨殺された6人の教師「六氏先生」の一人だ。医師の羽鳥重郎は後藤新平に請われ風土病対策に奔走、農林技師の新井耕吉郎は「台湾紅茶の父」として知られる。いずれも群馬から海を渡ったが、逆に共愛学園で戦前から戦後の40年にわたり校長を務め、女子教育普及に貢献した周再賜(しゅうさいし)は台湾出身だ。
現代の留学はさまざまで、国内の大学に籍を置いての短期留学は全国的に増えているが、高校から直接海外の大学に進学する数の変化は少ない。一方で台湾への進学数が過去10年、増えているのは、台湾教育部(文部科学省に相当)が平成24年に日本台湾教育センターを設立、留学を促したことも大きい。サポートする非営利法人も誕生したが、進学状況の進展は地域的には依然、まだら模様という。
群馬は歴史的にも親和性が強いといえるが、同じ協定は、ここ1年余で大阪や宮城、熊本などでも締結され、近く山形でも結ばれる。台湾高等教育の魅力は浸透しつつある。
筆者:風間正人(産経新聞)
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2021年6月5日付産経新聞【日本の論点】を転載しています
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