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命がけで成し遂げる価値あるコンサート

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東日本大震災の復興支援コンサートでステージに立つさかもと未明さん
=4月30日、岩手県陸前高田市(さかもと未明さん提供)

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「やり続けたと決めた以上、なんとしてもやるんです。万一スポンサー不在で自分が負債を被るとしても、中止はないです」

 

今年4月に延期された渋谷オーチャード・ホール公演まで2カ月を切った3月上旬。少し憔悴した面持ちで、榛葉昌寛氏は言った。

 

榛葉氏は、20年以上イタリアで修業したテノール歌手だ。彼は2011年の東日本大震災をイタリアの報道で知り、あまりの被害の大きさに絶句した。

 

「日本人として何かしなくては」-。縁のあったカトリックの総本山、バチカンのモンテリーズィ枢機卿の協力を得て、2012年からバチカンと日本で交互に震災復興支援コンサートを続けてきた。今回で通算9回目。今年は開催直前、コロナ自粛によるスポンサー撤退という事態になったが、榛葉氏はツアーを成し遂げた。「やるといったのに、コロナだからとやめてしまっては、被災地の方に申訳が立ちません。口にしたことを実行することでしか、信頼はかちとれないので」と言って。

 

榛葉氏との出会いは、2017年。当時、私は難病の膠原病に罹患し、余命宣告をうけるほど悪化していた。拉致被害者家族の横田滋・早紀江夫妻に大変よくしていただいたことから、「恩返しをしたい」一心で、自身の作詞と、ピアニスト・遠藤征志氏の作曲で「青い伝説」という曲を作った。「世界に訴えるため、バチカンの一角で歌いYouTube動画を作ったら、話題になるのでは」と思いついたが、どう許可をとればいいのかわからない。悩んでいると天の恵みのように榛葉氏が現れ、数か月後にモンテリーズィ枢機卿に会わせてくれた。

 

当時の日本では、拉致問題に触れることを恐れる空気があった。だが、外国で暮らしていた榛葉氏は全くひるまない。「なんの罪もない人が国家により誘拐されるなんて、一緒に世界へ救出を訴えましょう」。あろうことか私を、バチカンの大聖堂で歌わせてくれた。

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その時も驚いたが、今回のツアー実現への執念にも驚いた。約束を守り抜こうという彼の強い意志が、被災した方々の心に響き、企業ばかりかバチカンまで動かしたのだろう。

 

初めて被災地を訪れた私は、「奇跡の一本松」(現在は枯れて、人工のレプリカ)記念公園の広い土地を見ながら、「ここは以前、普通の住宅街だったんです」との説明を地元の人に聞いて、戦慄を覚えた。これだけの土地を、津波が一瞬で洗い流すなんて。被災者の心の傷はどれだけ深いだろう。

 

陸前高田の大きな会場は、コロナの影響で50%の収容率だったが、皆さん真剣に演者を見つめ、時に涙ぐみ、大きな拍手をくださった。翌日のいわきのホール氏は小さいホールが満杯で、熱い熱気を共有できる幸せなコンサートだった。その反応から、被災地がどれだけ芸術を欲しているかを痛感した。

 

陸前高田の政策推進室長、村上浩司氏は、「建物の復興はかなり進みましたが、心の復興はまだまだです」と言い、いわきの支援者、村山利雄氏は「政治が、私たちの為でないところで動いている感じがする。私たちの必要とすることを調べ、私たちのためになることをしてほしい」と目を潤ませ語った。

 

震災から11年。報道は昨今のウクライナ情勢一辺倒で、最近、東北で大きな地震があった後も、ほとんど報道されない。しかし、東日本大震災の傷はまだ癒えていないのだ。そして「常に地震と隣り合わせ」の地域になった。今後の更なる物心両輪の支援と、日本全体で東北に寄り添うことが必要だと痛切に思う。

 

だから来年も又来たい。たかがコンサート、されどコンサート。真剣な思いを込めた芸術だけが、深い傷を負った人々の心を癒す。榛葉氏が言うように、コンサートは命がけで成し遂げ、続ける価値のあるものだ。

 

私たちは、大震災の事を、心の傷に今も苦しむ方々のことを、決して忘れてはならない。

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筆者:さかもと未明

 

 

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