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人口400人の町でベビーラッシュ 若者が移住する理由

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石見銀山生活文化研究所本社にある茅葺きの家「鄙舎」で話す
(左から)山碕千浩さん、河合愛さんと葵平ちゃん、松場奈緒子さん。
=島根県大田市

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世界遺産・石見銀山遺跡(島根県大田(おおだ)市)のおひざ元、同市大森町で若い世代のU・Iターンが相次ぎ、ベビーラッシュが起きている。昨年3月までの10年間で、転入は32世帯。43人の赤ちゃんが誕生した。山間地域の多くでは過疎と高齢化が課題となっているが、大森町では若者世代の増加とベビーラッシュが実現している。その背景には地元に根差した企業の支援と、この町に暮らす、子育て中の女性の奮闘があった。

 

文部審議会の答申で、国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)の追加指定を受けた大森地区 =2007年10月16日午後、島根県大田市

 

町全体で子育て

 

周囲を山々に囲まれる大森町。石見銀山の町として栄え、銀山の最盛期・江戸時代には人口数万人を数えたという。かつては単独の自治体だったが、昭和31年、大田市に編入した。現在の人口は392人(4月1日時点)だが、10年前の412人(同)からほぼ変わらない。

 

「ここでは『〇〇君のママ』ではなく、1人の人間として付き合いがあり、居場所も役割もあります」

 

町の子育て支援サロン「森のどんぐりくらぶ」代表の松場奈緒子さん(37)は、この町の生まれ。上京して第1子を出産後の平成24年に家族でUターンし、現在は小学6年生を筆頭に5人の子育て中だ。「東京の子育ては周囲に相談できる人もなく、仕事復帰と育児の両立がイメージできなかった」と話す。

 

松場さんはUターン後、第3子を出産した際に「時代に合った子育てサロンを作りたい」と森のどんぐりくらぶを立ち上げた。

 

乳幼児が対象の「やまりすクラス」と、小学生対象の「うりぼうクラス」があり、母親向けのヨガ、料理教室を開催し、放課後子供教室を運営するなど地域の子育てを支える。森のどんぐりくらぶには現在29の家庭の子供たちが在籍する。

 

保育士免許を取得し、自ら子供たちの世話をする松場さんは「町全体で子供を育ててくれるんです。子供たちは、多様な年齢の人と接することができる」と話す。

 

文部審議会の答申で、国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)の追加指定を受けた大森地区 =2007年10月16日午後、島根県大田市

 

3分の2がU・Iターン

 

子供が増えた背景には、この町に本社を置く2つの有力企業の存在がある。「石見銀山 群言堂(ぐんげんどう)」ブランドで全国でアパレルや飲食店などを展開する「石見銀山生活文化研究所」と義肢装具を製造する「中村ブレイス」だ。

 

両社はそれぞれ町内の空き家を買い取り、従業員の住居などとして活用する。石見銀山生活文化研究所本社勤務の約70人のうち、3分の2がU・Iターンによる移住者だ。

 

同社で生産管理を受け持つ小野寺久美子さん(39)は東京都出身。看護師として都内で暮らしていたが、夫の拓郎さん(41)がこの町で同社が運営する古民家宿「他郷阿部家」の料理人として赴任するのに伴い、26年に家族でIターンした。

 

「子供が熱を出しても、私が帰るまで隣の人が見てくれる。通勤時間がかかる東京時代に比べ、時間の余裕もできた。不便を感じることはなかった」といい、転入時には1人だった子供も4人に増えた。

 

同社の女子寮で暮らす山碕千浩(ちひろ)さん(27)は、大田市に近い同県飯南町生まれで、早稲田大学を卒業後、都内の企業を約2年半で退職し、同社に転職した。東京時代は地に足がついていない不安感があったという。今は阿部家の接客から掃除、調理補助まで担当する。「いまは、ここに立っていると思えています」

 

明かりがあっても薄暗い石見銀山遺跡の龍源寺間歩=令和4年4月19日、島根県大田市(撮影 藤原由梨)

 

未来はつくるもの

 

子供の増加により、25年から複数の学年が一緒に机を並べる複式学級をとっていた地元の市立大森小学校(全校児童21人)は、今年、1年生が6人、2年生7人となり、9年ぶりにそれぞれの学年で学級を編成した。

 

この町で生まれ育ち、現在も暮らす小学校教諭の河合愛さん(38)は、昨年12月に第2子の長男、葵平(きっぺい)ちゃん(4カ月)を出産したばかり。河合さんは大森小の卒業生だ。

 

「私の同級生は9人。でも、下の学年はどんどん子供が減っていった時代でした。昔はこんな田舎は嫌だと思っていたけれど、今は季節感を感じて生活できるこの町で子育てをしたい」という。

 

こうした環境をつくった住民のひとりが、松場さんの母で、石見銀山生活文化研究所長の登美(とみ)さん(72)。

 

41年前、夫の故郷である大森町に一家で移り住み、空き家が目立っていたこの町を整備し、若者を呼び込める町に再生させた。

 

登美さんは一過性のイベントなどのお祭り騒ぎが、まちづくりではないと話す。登美さんの「未来はつくるもの。希望があると思える町に人は根を下ろしていく」という言葉が印象的だった。

 

筆者:藤原由梨(産経新聞)

 

 

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