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【主張】英女王追悼 国家国民への奉仕貫いた

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ロンドンのウェストミンスター寺院で行われた
エリザベス女王の戴冠式に参列された皇太子時代の上皇さま
(前列左から4人目)=1953年6月(共同)

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英国のエリザベス女王(エリザベス2世)が亡くなった。女王は英国とカナダ、オーストラリアなど15カ国の立憲君主だった。英王室とこれらの諸国民に哀悼の意を表したい。

 

エリザベス女王即位70年を祝い、バッキンガム宮殿前に集まる人々=6月1日(AP)

 

1952年に即位し、70年間にわたり国家と国民への奉仕を貫いた。トラス新首相任命など亡くなる直前まで公務にあたった。

 

国民から敬愛され、安定と統合の象徴としての存在感は極めて大きかった。

 

チャーチル氏からトラス氏まで15人の首相が女王に仕えた。「君臨すれども統治せず」と言われるが、「相談を受ける権利」「激励する権利」「警告する権利」を有する。政府の情勢報告を毎週受ける中で首相に助言を与えた。

 

首相や各国首脳に静かに働きかけることで、旧英連邦の国だった南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離)撤廃に貢献したとされる。新型コロナウイルス禍ではテレビ演説で国民を励ました。英国が難局にあるとき、団結の中心には女王の姿があった。

 

1975年5月、宮中晩餐会で昭和天皇と乾杯するエリザベス女王=宮殿・豊明殿

 

日本の皇室との交流にも努め、日英両国の親善に大きな役割を果たした。

 

上皇陛下は19歳の皇太子当時、昭和天皇の名代として訪英し、女王の戴冠(たいかん)式に出席された。先の大戦の旧敵国の印象が残る時期だったが、女王の誘いで一緒に競馬場でダービーを観戦された。

 

昭和天皇が71年に訪英され、女王が75年に訪日したことは、戦争の傷痕を癒やす取り組みでもあった。天皇陛下は皇太子当時、同じ立憲君主国の英国に留学された。戦後の日英友好関係は、皇室と女王の王室との交流が大きな比重を占めてきた。

 

岸田文雄首相は女王の訃報を受け、「日英関係の強化に大いに貢献された」と語った。政府と宮内庁は、最大限の礼節をもって女王の葬儀に臨んでもらいたい。

 

日本は、中国やロシアの脅威を前に、安全保障、経済分野で英国と緊密な関係を構築した。チャールズ新国王の英国とも、友好関係を深めていきたい。

 

英国の欧州連合(EU)離脱などをめぐりスコットランドに独立論がくすぶるが、女王の存在が歯止めになっていた。分離による英国の国力低下は、世界の安全保障に深刻な影響がある。新国王には女王が担ってきた英国統合の役割を守り抜くよう期待したい。

 

 

2022年9月10日付産経新聞【主張】を転載しています

 

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