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慰安婦問題と北朝鮮コネクション

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Comfort women

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本稿は、『社会科学研究ネットワーク』(SSRN)誌(電子学術誌)に8月17日に掲載された早稲田大学の有馬哲夫教授と、ハーバード大学大学院のマーク・ラムザイヤー教授の共著「慰安婦問題と北朝鮮コネクション」(原文は英語)に基づいて、有馬教授が執筆し、ラムザイヤー教授の確認を得ている。

 

 

北のプロパガンダ工作

 

2017年に『波』(新潮社の月刊文芸雑誌)に掲載された読み物のなかで私(有馬)はこう書いている。

 

「1990年代の米国国務省の日本・韓国・北朝鮮の状況報告書を読んで気付いたことがある。北朝鮮のミサイル・核開発が問題となった1993年に『慰安婦問題』も注目を集めるようになったということだ。それ以降の報告書も、読みようによっては、ミサイル・核の開発が進むと、それから目をそらさせるように、『慰安婦問題』が持ち出されてくるように思える」

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今にして思うと、これは重要な気付きだった。これが本当なら、いわゆる「慰安婦問題」は「歴史問題」などではなく、北朝鮮が日本と韓国を離間させるために行ったプロパガンダ工作だったことになる。

 

しかし、この当時、私が下した結論は次のようなものだった。

 

「国務省文書のなかでは、韓国と北朝鮮は同じ地域のカテゴリーに入るので、米国にとって重要な事項がそのなかで並行的に報告されることになる。だから、並行関係にあるとは確認できるが因果関係があるとまではいえない。つまり、北朝鮮のミサイル・核開発が先行し、そのあとに『慰安婦問題』が出てくるのか、両者が原因と結果の関係にあるのか、証明はできない」

 

この当時は確かにそうだった。では今も証明できないのか。その後分かったことから、現在なら、私とラムザイヤーはできると考える。以下で詳述しよう。

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「慰安婦問題」は北朝鮮によるプロパガンダ工作だということは、次のことによってなされる。

 

(1)慰安婦問題は、以前は問題とされなかったのに、北朝鮮がミサイル・核開発を本格化させ、拉致問題が浮上するころになって突如問題とされるようになった(2)慰安婦問題は北朝鮮コネクションを持つ人々によって生み出された。

 

ソウルの日本大使館前に設置された慰安婦像の近くで抗議する韓国人

 

日本が発生源、韓国が追随

 

では(1)の証明を行なおう。このためのツールとしてラムザイヤーが使ったのは、韓国現代史研究者、朱益鍾と神戸大学大学院教授、木村幹の『過去の重荷:日韓歴史認識の問題』のデータだ。これは我々の論文の54-57頁に表にして引用している。

 

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ハイライトだけ紹介しよう。木村によれば、1985-89年間で「慰安婦」と「強制連行」が朝日新聞の見出しに現れた回数はそれぞれ6回と14回だった。ところが、次の5年間では、これが600回と275回と爆発的に増える。その次の5年間も822回と222回だった。その後の5年間は126回と169回と鎮静化するが、以前よりは高い数値に留まっている。

 

韓国側はどうだったのか。やはり木村のデータによると、朝鮮日報の1985-89年間の記事で「慰安婦」と「強制連行」が見出しになったのは、それぞれ11回と0回だった。次の5年間では、これが150回と3回になる。次の5年間では、186回と459回になり朝日新聞に近い数字になる。

 

朱によれば、東亜日報と京郷新聞が「日本軍慰安婦」について報じた記事は、1985-89年間ではわずかに4回、次の5年間では989回と爆発的に増える。(朱のデータは1994年まで)

 

また、朱は、YouTube番組「解放後の40年間、日本軍慰安婦問題はなかった」で、新聞以外でも、例えば韓国の歴史教科書や映画においても、1988年までは慰安婦問題はなかったと結論している。

 

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このことは2つのことを意味している。1つは、慰安婦そのものは以前からいたが、それが問題と認識されるようになったのは1980年代の終わりから90年代の前半だということ。そして、数の伸び方から見て、人為的な力が加わったと見る方が自然だということ。2つ目は、意外にも、日本が発生源であって、韓国はそれに追随したのだということだ。

 

 

北の核開発、拉致事件発覚

 

では、1980年代の終わりから90年代の前半にかけて北朝鮮はどのような動きをしていたのだろうか。

 

アメリカ側の複数の研究が明らかにしているが、北朝鮮が射程の長いミサイルの開発を始めるのは1980年代の半ばで、その飛距離が伸びて、国外を射程に収め始めるのは1980年代の終わりだ。

 

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核開発についていえば、北朝鮮が黒鉛炉を作るのが1986年で、その後開発を進めていき、安全保障上の問題を国際原子力機関(IAEA)に指摘されて疑惑が一気に浮上するのが1993年だ。つまり、ほぼ同時期にミサイル開発と並行して核開発を本格化させていたことになる。

 

なぜだろうか。元早稲田大学教授の重村智計は、その理由を1989年のベルリンの壁の崩壊に始まるソ連の解体に求める。つまり、ソ連がもはや後ろ盾として信頼できず、北朝鮮自らがアメリカと軍事的に対峙しなければならなくなったということだ。

 

より決定的なのは、北朝鮮による拉致事件が発覚したことだ。大韓航空機爆破事件(1987年11月29日)解明の過程で実行犯、金賢妃(キム・ヒョンヒ)の日本語教師、李恩恵(リ・ウネ)が拉致された日本人であることがわかり、1988年3月26日の参議院予算委員会において拉致事件の存在を日本政府が初めて認めた。これ以降、日本政府は徐々に北朝鮮にこの問題の解決を求めるようになっていく。

 

つまり、朝日新聞に慰安婦問題の報道が爆発的に増えていく時期は、北朝鮮がミサイル・核開発を本格化し、拉致問題に対応せざるを得なくなっている時期と一致する。日本と韓国が結束し、北朝鮮に向き合われては一番困る時期だ。

 

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2019年、ソウル市内で開かれた「三・一独立運動」100年の政府式典に参加する文在寅大統領(当時)=ロイター

 

慰安婦問題で日韓離間画策

 

これだけ偶然が重なれば、単なる偶然ではないことがわかるが、(2)でダメを押す必要がある。コリア国際研究所所長、朴斗鎮(パク・トゥジン)は、朝鮮総連機関紙「朝鮮日報」(2002年6月6日付)、清水澄子の「李愚貞(イ・ウジョン)さんを悼む」に、このような記述を見つけた。

 

「私と李愚貞さんとの直接の出会いは、韓国の軍政が民政に転換し始めた1987年8月、韓国から初めて彼女が原水禁世界大会に参加した時である。2人は、KCIA(大韓民国中央情報部)の目を警戒して長崎湾の船上で話しあった。彼女は『金日成主席のこと、北の同胞のことを聞かせて!』『日本で北の同胞・呂燕九(ヨ・ヨング)さんと会える場を作って。あなたならできる』と私の手を握った。私は民族の熱い思いにゆり動かされた。そして2人で知恵をしぼったのが“アジアの平和と女性の役割実行委員会”であった」

 

朴斗鎮は、これが北朝鮮コネクションによって慰安婦問題が作り出される発端だったとする。つまり、1987年の原水禁世界大会で、社会党の国会議員、清水澄子と韓国教会女性連合会会長、李愚貞がKCIAの監視を逃れて長崎湾の船上で、「韓国教会女性連合会」(挺対協結成後は「挺対協」)と「日本社会党婦人部」と北朝鮮の統一戦線部傘下の「祖国統一民主主義戦線」を連帯させ、日朝関係正常化を進めることを話し合った。そして、これを進めるために「アジアの平和と女性の役割実行委員会」を設立し、そこで日朝国交回復と賠償問題を議論することにした。

 

その後、日本で海部内閣発足後の1990年9月26日に朝鮮労働党と日本の自民党、社会党との「日朝3党共同宣言」が発表され、同年11月、韓国では「挺対協」が結成される。翌年の5月、日本社会党傘下の「日本婦人会議」が組織した「アジアの平和と女性の役割シンポジュウム」の第1回が東京で開催され、北朝鮮代表の呂燕九・祖国統一民主主義戦線議長と「挺対協」共同代表の尹貞玉(ユン・ジョンオク)氏と李効再(イ・ヒョジェ)氏がそこに参加し、南北共闘に合意した。

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さらに1992年に平壌で開催された第3回「アジアの平和と女性の役割シンポジュウム」では「挺対協」メンバーが金日成主席と面会する。朴斗鎮は、北朝鮮の意向に沿って慰安婦問題を提起することによって日韓離間工作を推し進めていくことが決定したのはこの時だという。

 

 

問題を大きくした朝日新聞

 

しかしながら、朴が描いた「陰謀」はあったのだろうが、それだけでは今日のような慰安婦問題にはならない。そこにメディアが動員されなければ、日朝韓のごく一部の関係者が何か画策したところで、その効果は知れている。

 

事実、前述の木村は、挺対協が韓国で認知を得るのは、朝日新聞報道に追随して韓国メディアの報道量が増えてからだと指摘している。換言すれば、一般に日本側が考えているように、挺対協が慰安婦問題を大きくしたのではなく、朝日新聞が慰安婦問題を大きくし、挺対協を韓国において認知させ、韓国政治における一つの勢力に成長させたということだ。

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では朝日新聞はなぜいち早く慰安婦報道キャンペーンを始めたのだろうか。それは松井やよりという、のちに編集委員まで登りつめる「熱心な」記者がいたからだ。松井の父の平山照次は、東京山手協会の牧師で、戦時中、軍から迫害を受けた。戦後は反原水爆禁止日本協議会の常任理事を務めたことがある。松井の朝日新聞での報道姿勢は、父から来たものかもしれない。

 

さらには、松井本人も「アジア女性たちの会」を設立して、社会運動家としても活動している。このような背景がなかったとしても新聞記者・社会運動家なので、原水禁運動にも女性運動にも関わっていて不思議ではないのだが、コネクションがあったのだからなおさら深く関わったのだろう。このコネクションは、清水や挺対協がそうだったように、原水禁と女性運動を通じて北朝鮮とリンクしていた。

 

慰安婦に関していえば、松井は1984年11月2日の夕刊紙上に「邦人巡査が強制連行 21歳故国引き離される」と題した当時タイ在住の朝鮮人慰安婦の記事を書いているが、女性問題の運動家として彼女に興味を持ったのもうなずける。また、これは2年前の9月に詐話師、吉田清治の講演内容をまとめた記事「朝鮮の女性 私も連行 暴行加え無理やり」のあとを受けたものでもあった。

 

旧大日本帝国に対する嫌悪感、キリスト教会、原水禁運動、女性運動、慰安婦に対する関心が、清水澄子、李愚貞、松井やよりを結び付けたのだ。

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政治問題化で報道量増加

 

とはいえ、朝日新聞も大新聞なので、一記者の熱意だけでは報道量が増えたりはしない。報道量に増加が見られたのは、慰安婦のことを持ち出せば問題化しやすい政治状況があったからだ。海部内閣は1990年9月、金丸訪朝団として平壌を訪問した自民党と社会党は「日朝3党(朝鮮労働党が入るので)合意」をまとめ、国交正常化後の補償問題を取り上げていた。

 

その3党合意に基づいて1991年1月、平壌で日朝国交正常化予備会談が行なわれた。『帝国の慰安婦』の著者である朴裕河は、この会談で、北朝鮮が慰安婦問題に対し補償措置を講じるよう求めたことを指摘する。だから、松井が慰安婦問題の記事の企画を朝日新聞内で通しやすかったのだろう。

 

そして、同年8月11日、松井の部下である植村隆が「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件」で原告の一人になっていた金学順(キム・ハクスン)に慰安婦だと名乗らせ「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口を開く」を書いた。これは、のちのちこの問題に大きく関わることになる人権派弁護士、福島瑞穂と戸塚悦郎が手掛けていた訴訟だ。しかも、植村の義母がこの原告団の「韓国太平洋戦争犠牲者遺族会」の幹部だった。このような利害関係がありながら、松井と植村は慰安婦問題キャンペーンを展開していったのだ。

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松井たちは、同年11月ソウルで行われた「アジアの平和と女性の役割シンポジウム」11月10日から29日までほぼ連日、朝日新聞の紙面で報告している。これも、木村が示したような、慰安婦と強制連行を見出しとする記事の増加の要因となっている。

 

翌年の1992年、宮澤政権は、日韓の懸案となっている問題の解決を図り、訪韓によってその成果を示したいと動いた。海部政権で北朝鮮に対する補償の対象とされた慰安婦問題は、宮澤政権では韓国の元慰安婦に対する「償い」問題として政治化した。慰安婦問題は、今度は日韓の間の問題となり、この関連の報道量はさらに増加していく。

 

会見で歴史認識に関する談話を発表する河野洋平官房長官。慰安婦問題について反省と謝罪を表明した=1993年8月、首相官邸

 

日韓にとって大きな脅威

 

結局、日本政府は、この問題に関して元慰安婦に苦痛を与えたことを謝罪し、それを河野談話として発表し、アジア女性基金を創設し、それを通して朝鮮人元慰安婦に「お見舞金」を支払うことで決着を図った。このプロセスには福島(当時はまだ弁護士)が関わっていた。

 

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ところが、もともと日韓離間を目的として作られた挺対協は決着するのを妨げた。元慰安婦が謝罪を受け入れ「お見舞金」を受け取ろうとすると、心からの謝罪ではない、国費から出すのではない「お見舞金」では謝罪にならないとして、邪魔した。解決して、日韓が和解し北朝鮮に向かってきては困るのだから当然だ。それに日朝国交正常化がなされない限り、北朝鮮が慰安婦問題で賠償金がとれるわけではないのだから不公平でもある。

 

このあと、安倍政権では、煮え湯を飲んで2015年「慰安婦問題日韓合意」をまとめたのに、挺対協(現正義連)は和解案について相談を受けておらず、したがって不同意だと主張した。和解案について聞かされなかったというのはのちに嘘だと分かったが、朴槿恵大統領の後を受けた文在寅大統領は、元慰安婦たちが同意していない以上、合意は無効だとして反故にしてしまった。その後、正義連が寄付金を着服したり、流用したり、元慰安婦を虐待したりしたことが韓国メディアによって明らかになったが、現在でも慰安婦問題は解決したとはいえない状態にある。この間、北朝鮮はミサイル・核開発を着実にすすめ、現在、日韓にとって大きな脅威となっている。

 

このように、慰安婦問題は、基本的に北朝鮮の日韓離間プロパガンダ工作である。それは日本軍による戦争犯罪でもなければ、女性に対する人権侵害でもなく、歴史問題ですらない。この北朝鮮の策謀から引き出された河野談話は、今日も日本人の名誉を棄損し、海外にいる邦人に苦痛を与えている。したがって、可及的速やかに破棄しなければならない。(敬称略)

 

筆者:有馬哲夫教授(早稲田大学教授)

 

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ジェイソン・モーガン(麗澤大学国際学部准教授)による英文記事(10月15日掲載)
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