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歴史の類比と日本の備えを問う

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初の東京サミット、各国首脳が散歩 迎賓館の主庭を散歩する各国首脳。(左から)カーター米大統領、大平正芳首相、ジスカールデスタン仏大統領、クラーク加首相、シュミット西独首相、アンドレオッチ伊首相、サッチャー英首相 =1979年6月28日(©産経新聞)

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戦後日本が直面した危機

 

1973年10月の第4次中東戦争を契機に、第1次石油危機が発生し、世界と日本の経済は大打撃を被った。今から半世紀前のことである。国際政治学者の高坂正堯は、この石油危機こそ戦後日本が直面した最初の危機だったと述懐している。

 

75年には、国際経済問題を議論すべく第1回先進国首脳会議(サミット)がフランスのランブイエで開催された。当初はフランスとイギリス、西ドイツにアメリカだけの会合になるはずだったが、アメリカの要請で、世界第2位の経済大国たる日本も参加することになった。

 

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79年の東京サミットで、日本は初めて議長国になった。この折は、イラン革命に端を発する第2次石油危機の最中であった。大平正芳首相の時代である。

 

長期政権を誇った佐藤栄作首相が72年に退陣して以降、田中角栄、三木武夫、福田赳夫、そして大平と、首相は2年ごとに交代していった。

 

この間、75年には南ベトナムの首都サイゴンが共産主義勢力の手に落ちた。米ソの緊張緩和(デタント)を前提にして、日本は76年に初めて「防衛計画の大綱」を策定したが、米ソ関係の悪化やアメリカのアジア離れを危惧して、78年末には「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)をまとめることになった。79年末には、ソ連がアフガニスタンに侵攻して、米ソ新冷戦と呼ばれる事態になる。

 

ベトナム戦争=1965年11月 (via Wikimedia Commons)

 

もとより、歴史には様々なアナロジー(類比)やサイクルを求めることができる(拙著『トランプvsバイデン』PHP新書を参照)。それにしても、何とよく似ていることか。

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アメリカがアフガニスタンから性急に撤退すると、首都カブールはタリバンの手に落ちた。すると、アメリカの失策に勢いを得たように、ロシアがウクライナに侵攻して、世界的なエネルギー危機が生じている。米中関係も新冷戦と呼ばれて、久しい。

 

タリバンからカブール空港の敷地内に逃げようとするアフガニスタン人

 

主戦場はアジアに

 

そうした中で、日本は昨年末に国家安全保障戦略など安保3文書を改定し、今年5月には広島でG7サミットを開催しようとしている。しかも、岸田文雄首相は大平元首相と同じく、宏池会の出身である。

 

ただし、大きな相違点もある。米ソ冷戦ではヨーロッパが主戦場であったが、米中冷戦ではアジアこそ主戦場である。そこに、ロシア、北朝鮮の脅威も重なる。ところが、日本は総合的な国力を消耗して、やがては世界第3位の経済大国の地位も喪失しようとしている。まさに「戦後最大級の難局」(折木良一・元自衛隊統合幕僚長)なのである。

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Japan's security environment

G7広島サミットカウントダウンボード点灯式であいさつする岸田文雄首相=1月5日午前、首相官邸(矢島康弘撮影)

 

しかも、ロシアによるウクライナ侵攻は、日本国憲法が前提にしてきた国際連合による平和(諸国民の公正と信義)を根底から揺さぶっている。アメリカと集団的自衛の関係を持たず、専守防衛に徹するという護憲論は、具体的には、今のウクライナのように戦うことを意味する。

 

もとより、外交努力は重要である。先進7カ国(G7)議長国として、岸田首相は欧米の加盟国を精力的に歴訪した。国連安全保障理事会の非常任理事国としても、責任を果たさなければならない。

 

しかし、外交努力と防衛努力は矛盾しない。安保3文書はうまくまとめられているが、やはり安定的な財源の確保に至らなければ、戦略として完結しない。

 

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また、外務省や防衛省を超えた政府全体、地方自治体、民間との協力も具体化していかなければならない。これから、多くの関係アクターをステイクホルダー(利害関係者)として巻き込んでいく忍耐強いプロセスが必要である。そして、日米間で「ガイドライン」の改定を含めた政策調整も求められよう。その際、両国間で対中認識のすり合わせが重要である。

 

ホワイトハウスでの首脳会談に際し、バイデン米大統領と握手する岸田首相=1月13日(ロイター)

 

国内政治の安定不可欠

 

このように論じると、いわゆるリベラル派(呼称とは異なり寛容ではない)から、ウクライナ危機に便乗して軍拡を図る議論と批判されるかもしれない。

 

かつて、防衛費の対国民総生産(GNP)1%枠が突破された折、自衛隊の国連平和維持活動(PKO)参加が決まった際、そして、平和・安全保障法制で限定的な集団的自衛権の行使が容認された折、いわゆるリベラル派は「危機」を声高に語ってきた。今や、そうした懸念が杞憂(きゆう)であったことは、明らかであろう。

 

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ソ連のアフガニスタン侵攻から12年後には、そのソ連が崩壊し冷戦は完全に終結した。今から10年ほどして、もし「戦後最大級の難局」も杞憂であったと判明するならば、日本にとってこれに過ぎる幸いはない。

 

この難局を杞憂に終わらせるための、外交努力と防衛努力なのである。その前提として、国内政治の安定が不可欠である。さて、長期政権のあとに短期政権が続くという歴史は、はたして避けられようか。

 

筆者:村田晃嗣(同志社大学教授)

 

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2023年1月17日付産経新聞【正論】を転載しています

 

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