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【主張】国枝の引退 記録と記憶に残る王者だ

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Shingo Kunieda
国枝慎吾選手=2021年9月4日(ロイター)

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誰よりも強く、誰からも慕われた。これほどの王者は、二度と現れないのではないか。

 

車いすテニス男子の第一人者、国枝慎吾が引退を表明した。

 

自身のSNS(交流サイト)には「もう十分やりきったという感情が高まり、決意した次第です。最高の車いすテニス人生でした」と、ファンに向けて感謝の思いをつづった。

 

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Shingo Kunieda

ウインブルドン車いす男子シングルス決勝=2022年7月(共同)

 

四大大会のシングルス優勝は28度、パラリンピックのシングルスでも3度、頂点に立った。世界ランキング1位は通算582週に及び、今月16日付でも1位だ。

 

「最強」のままコートを去ることに「カッコつけすぎと言われるかもしれませんが、許してください」とも書いた。

 

Shingo Kunieda

東京パラリンピック男子シングルス決勝=2021年9月

 

「俺は最強だ」を口癖に何度も逆境をはねのけた姿は、人々の胸に刻まれたに違いない。記録にも記憶にも残る王者だった。

 

一昨年夏の東京パラで金メダルを獲得し、感極まって目頭を押さえた姿は記憶に新しい。惜しまれるのは、新型コロナウイルス禍で無観客開催となったことだ。できることなら、大観衆の前で男泣きしてほしかった。

 

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国枝が初めて世界のトップに立ったのは2006年だった。当時、日本の報道陣から「なぜ日本から世界的な選手が出てこないのか」と問われたロジャー・フェデラー(スイス)が、「クニエダがいるじゃないか」と即座に返答した話は知られている。メディアを含め、国民のパラスポーツを見る目は、国枝の活躍によって見開かれたといっても過言ではない。

 

車いすテニスを、「障害者の競技」から高度な技術を要する競技へと昇華させたことも国枝の功績である。09年にはプロに転向し、パラアスリートとしての地平を切り開いた。その軌跡は、後進の道しるべとなったはずだ。

 

Shingo Kunieda

全仏オープンを制し、トロフィーを手にする国枝慎吾=2022年6月4日(AP)

 

車いすテニスは国際テニス連盟(ITF)が統括しており、国枝は「健常者と障害者の垣根が低いスポーツ」だと指摘する。四大大会で実施されることで賞金が高額となり、参戦する選手の競技環境は整備が進んだという。

 

パラ競技の活路を開く好例だ。テニス以外の競技団体も参考にすべきだろう。

 

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日本のスポーツ界には、国枝の知見が必要だ。これからも車いすテニスとパラ競技の魅力を発信し続け、後進を導いてほしい。

 

 

2023年1月24日付産経新聞【主張】を転載しています

 

この記事の英文記事を読む

 

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