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【主張】ホンダのF1復帰 高い技術で世界と勝負を

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F1アブダビGPで走行するレッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペン選手=2021年12月、アブダビ(ゲッティ=共同)

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自動車レースの最高峰であるフォーミュラ・ワン(F1)に、ホンダが2026(令和8)年から復帰する。

 

日本のモータースポーツを牽引(けんいん)してきた名門の参戦を歓迎したい。

 

30年のカーボンニュートラル(脱炭素)実現を掲げるF1では、26年から二酸化炭素の排出量に新たな規制がかかる。

 

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ホンダは英国のアストン・マーチンと組み、エンジンとモーターからなる動力装置のパワーユニット(PU)を供給する。

 

F1シリーズへの復帰を表明し、写真撮影に応じるホンダの三部敏宏社長(中央左)ら=5月21日午前、東京都港区(共同)

 

「走る実験室」とも呼ばれるF1は、自動車メーカーにとって最先端技術を磨く場でもある。ホンダが前回参戦したのは15年からの7シーズンで、電気自動車(EV)などの環境技術に経営資源を集中するためとして21年にF1から撤退した。

 

三部敏宏社長は、通算5度目の参戦について「量産電動車の競争力にも直結する」と語る。世界各地を転戦するレースにおける活躍を通じ、環境技術やブランド力の向上につなげてもらいたい。

 

F1レースで世界に「ホンダ」の名をとどろかせた本田宗一郎氏=1988年(共同)

 

ホンダは創業者の本田宗一郎氏の強い意向で、1964年にF1初参戦を果たした。その後は撤退と参戦を繰り返しながら、トヨタ自動車など国内メーカーの参入を促すなど、日本の自動車技術を底上げしてきた。

 

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マクラーレンと組み、ドライバーにアイルトン・セナらを起用した80年代後半から90年代初めにかけては、4年連続で年間王者に輝いた実績もある。

 

母国で初優勝を飾り、表彰式でブラジル国旗を振るアイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)=1991年3月24日、インテルラゴス・サーキット(産経新聞)

 

当時からの最も大きな変化は、北米でのF1人気が高まっていることだろう。今年は5月上旬に行われたマイアミ・グランプリ(GP)に加え、米国とカナダであと3レースが予定される。ホンダにとって北米は重要市場で、参戦の効果は小さくない。

 

F1の総合優勝を記念したホンダ本社の展示=2021年12月、東京都内(共同)

 

さらに2026年からは、PUの電動化比率が2割から5割に引き上げられる。PU供給メーカーに予算上限も課される。開発効率の勝負で、日本の技術力の高さを示してほしい。同年からは米フォードや独アウディも参戦する。環境技術を巡る激しい競争が繰り広げられるなら大歓迎だ。

 

ホンダの復帰発表に喜ぶ日本のファンは多く、注目度の高さがうかがえる。日本人ドライバーの起用にも期待が懸かる。そしてホンダが活躍すれば、他の国内メーカーも活気づくはずだ。

 

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中嶋悟が駆るターボエンジン車「ロータスホンダ100T」=1988年10月29日、鈴鹿サーキット(産経新聞)

 

 

2023年6月7日付産経新聞【主張】を転載しています

 

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