即位礼正殿の儀をめぐっては憲法が定める政教分離に反しないのかとの議論があった。つづいて行われる大嘗祭についても公金支出や規模に批判がある。しかし、これらはまったくおかしな議論だ。
そもそも天皇は、国家及(およ)び国民統合の象徴と憲法で規定されるが、同時に皇室では宮中祭祀(さいし)をつかさどる立場にある。歴史的にも宗教的権威を有し、宗教と「分離」できない存在だ。
憲法は皇位を世襲とし、御代替わりを予定している。本来的に宗教と「分離」できない存在である天皇の御代替わりの儀式には当然、宗教色を帯びたものや宗教的儀式もある。
即位礼正殿の儀では、高御座に皇位とともに伝わる由緒ある品である剣璽(けんじ)などが備えられる。いずれも神話を起源とし、その意味では宗教色を帯びている。大嘗祭では皇祖・天照大神と天神地祇(ちぎ)に五穀豊穣(ほうじょう)とそれを可能にする災害予防を天皇自ら祈られる。まさに宗教的儀式だ。
政府は、今回の御代替わりに当たり、平成の御代替わりの際に行った憲法との整合性の整理を踏襲した。
憲法は国が如何(いか)なる宗教的活動もしてはならないとし、公金を宗教団体に支出してはならないと規定している。政教分離だ。
だが、政教分離についての最高裁の確立した考えは、国がまったく宗教色を持った行為に関わってはならないとはしない。目的が宗教的意義を持たず、特定宗教への助長・介入などの効果を有しなければ、許されるとする(昭和52年7月13日、津地鎮祭判決)。
政府はこれを前提に、即位礼正殿の儀は皇位継承に伴う儀式であり、政教分離に違反しないとして国の儀式とした。宗教上の儀式である大嘗祭も、皇室の行事ではあるが、皇位継承の際に必ず行われる、一世に一度の伝統ある儀式とし、「公的性格」があるとした。国が人的・物的に関わり、公金である宮廷費から支出しても、国の宗教的活動や、宗教団体への支出にならないとする。
大嘗宮の建設について、1回限りの建物に多額の支出をすることに批判がある。大嘗宮は皮のついたままの樹木「黒木」で造られる。古代のままの簡素な姿の再現だ。かつては安価であったが、今日では高価となった。一世に一度と考えれば、高額でもなく、天皇という存在が古代から変わらず存在し続けていることを示す必要な支出といえる。
筆者:八木秀次(麗澤大教授=憲法学)
10月23日付産経新聞に掲載された寄稿を転載しています