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横綱白鵬が現役引退の意向を固めた。幕内優勝45回、横綱在位84場所、通算1187勝、幕内1093勝などの大記録はおそらく今後も破られることはあるまい。
長く角界を第一人者として牽引(けんいん)し、特に東日本大震災や八百長問題に揺れた土俵を、一人横綱として支え続けた功績は極めて大きい。
平成12年の来日時に60キロ余しかなかったモンゴルの少年は帰国ぎりぎりで宮城野部屋に拾われ、厳しい稽古で大横綱に成長した。震災発生の23年3月11日は26歳の誕生日で、復興を祈願して被災地での土俵入りを繰り返した。不祥事で角界が危機に瀕(ひん)した際には本紙の取材に「相撲が終わるとき、この国も終わるという強い思いがある」と話したこともある。
モンゴルの後輩横綱、日馬富士や鶴竜が先に土俵を去り、真の好敵手と期待された稀勢の里は横綱として皆勤わずか2場所で引退した。孤独な横綱であったことは想像に難くない。
一方で現役の晩年には、かち上げと称しての肘打ち、けんか腰の張り手や駄目押しといった取り口や、優勝インタビューで観客に万歳や三本締めを要請するなどの立ち居振る舞いが「横綱らしくない」として批判を集めた。
近年は相次ぐ故障から休場数の多さが目立ったが、6場所連続休場明けの名古屋場所では復活の全勝優勝を飾り、これが最後の土俵となった。名古屋の千秋楽、全勝対決で破った照ノ富士が新横綱として優勝した秋場所を見届けての決断だった。
だが、照ノ富士はすでに29歳のベテランである。大関陣は優勝争いに加われず、三役に2桁勝ち星の力士はいなかった。将来の角界を背負う、有望な若手も見当たらない。これこそ角界の重大危機である。大横綱の引退が、その寂しさをより顕著にするだろう。
白鵬は令和元年に日本国籍を取得し、引退後に親方として相撲協会に残る資格を得ている。横綱として後進の壁となり続けた現役時代とは違い、今後は若手の育成で角界に恩返しをしてほしい。
これは一人白鵬に課すものではない。協会や全ての親方が同じ危機感をもって角界の活性化に当たらなければならない。「相撲が終わるとき、この国も終わる」という、若き日の白鵬の思いを共有してほしい。
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2021年9月28日付産経新聞【主張】を転載しています