~~
日中国交正常化50年や、5年ぶりに開催された中国共産党大会に関する評論が各種メディアをにぎわしている。そうした中、日本の対中政策で最大の柱だった政府開発援助(ODA)の効果に関する総括が奇妙なほど欠けている。日本は中国に40年間も巨額の公的資金を援助として供与したが、その援助は戦後の日本外交でも最大級の失敗だったと総括せざるを得ないのだ。なぜ失敗だったのか。私自身の中国体験から改めて報告したい。
◇
国民は援助知らず
産経新聞は1967年から98年の31年も中国への特派員駐在を許されなかった。台湾の支局を閉鎖せよという中国政府の要求を拒んだからだ。欧米のメディアには適用されない高圧的な「一つの中国」原則が日本メディアに押しつけられ、みなそれに従っていた。
だが中国側がその方針を変え、産経は初の中国総局開設という形で記者の再駐在を認められた。私がその任を担った。中華圏での取材は初めてに近い私は、中国ではまず日本のODAの状況を調べたいと思っていた。なぜなら日本の対中政策ではODAは最大の支柱だったにもかかわらず、実態に関する日本メディアの報道は皆無だったからだ。
日本の対中ODAは1979年から2018年まで40年間、総額3兆6千億円だった。日本のODAの歴史でも一国への総計では最大級だった。私の中国赴任の段階ですでに総額2兆円を超えていた。しかも全土の多数の公共施設の建設に投入されていたからその効果は中国一般でも幅広く認知されているだろうと思い込んでいた。
だが現実は逆だった。北京に住んだ私が接触する中国側のどの人に聞いても、日本からの経済援助ということ自体を知らないのだ。その後に訪ねた上海、大連、成都、ラサ、ハルビン、昆明などでも「日本からの経済援助」を誰も知らなかった。中国当局が国民に知らせないからだった。
特に首都の北京では五輪開催を目指して都市インフラの大建設が進み、驚くほど多数のプロジェクトが日本のODAで進められていた。例えば北京国際空港、地下鉄、港湾施設、高速道路だ。だが空港でも地下鉄でも完成の記念式典で貢献した団体や個人に謝意が表されても、資金源の日本への言及はゼロだった。
だからODAで中国側の対日友好が進むはずがなかった。中国政府がむしろ日本の援助を隠すようにしたのは事実上の賠償とみていたからかもしれない。
軍事力増強に寄与
ODAが中国の民主化に寄与するという日本側の希望もむなしかった。実際には日本の援助は中国政府の国家開発計画に組みこまれ、独裁政権の支配力強化に貢献したのだ。私が北京にいた期間の気功集団、法輪功への大弾圧は物すごかった。「中国民主党」を旗揚げしようとした人たちが即日、逮捕され、主導者は懲役14年の重刑となった。
日本のODAが中国の軍事力増強に寄与したとする批判は米国側から表明された。中国軍研究で知られるマイケル・ピルズベリー氏(現ハドソン研究所顧問)は1990年代に作成した米国防大学の報告書で「中国軍は日本のODAで建設された運輸、通信施設により総合的戦力を高めた」と明記していた。
同じように米上院外交委員会顧問で中国研究者のウィリアム・トリプレット氏は「中国軍は平時は山岳部に核兵器を含む主要戦力を配備し、有事に海岸部の大都市周辺へと急行させる戦略だが、その手段となる鉄道や幹線道路の多くが日本のODAで建設された」と述べていた。
同氏はその一例に台湾攻撃用の部隊が集結した福建省内の鉄道建設に日本のODAが投入された事実を指摘し、「日本政府は自国の援助が中国の軍事能力を向上させると考えたことがあるのか」と批判していた。
だが、その米国も歴代政権の関与政策により、中国を強大にすることに寄与してきた。その関与政策はトランプ政権時代に完全に否定されたが、米側で中国へのドアを最初に開いたニクソン元大統領がふっと反省の弁を述べたという話が伝わっている。
72年の最初の訪中から20年ほど後にニクソン氏が「私たちは間違ってフランケンシュタインを創り出してしまったのかもしれない」と述べたというのだ。フランケンシュタインはイギリスの小説に出てくる怪物で人間に襲いかかる。
日本もODAにより、自国にとって危険な怪物を育てたのではないか。厳しい自己検証が必要だろう。
筆者:古森義久(産経新聞初代中国総局長)
◇
2022年10月22日付産経新聞の記事を転載しています