2021-03-081

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東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗前会長が“女性蔑視”ととれる発言をめぐり引責辞任したことに関連し、女性経営者としての経歴を持ち、いまも行政組織のトップに立つ横浜市の林文子市長(74)が今回、記者会見という「公」の場で組織内の女性の立場についての見解と持論を赤裸々に披露した。旧態依然とした風潮の中で「我慢し、苦しみ続けてきた」と自らを振り返り、「いまも日本社会は変わらない」と現状認識を示して嘆いた。林市長の発言の概要は以下の通り。

 

 

-森氏の会長辞任をどう受け止めた

 

森さんとはいろいろな場面で仕事してきた。特に印象深いのは、本市でラグビーワールドカップ(W杯)の決勝戦を一緒に取り組んだこと。本当に残念だが、やはり組織委の会長としては、してはいけない発言。辞任は仕方ない。

 

-意思決定の場に女性がいることについては

 

大変重要なことだ。私は昭和40年に社会に出た。女性が仕事の場で意思決定をするなどということは誰も考えていない。私自身も考えたこともなかった。だから平成5年にBMW東京の支店長に選ばれたときは『私がですか』と(驚いた)。支店長になったというだけで新聞社が取材に来た。そんな時代だ。

 

 

立ち止まる社会

 

-時代は変わったか

 

日本は変わらないと思う。そう答えるのはネガティブだが。中間管理職についた女性たちが、ある程度の仕事をすることができるというところまでは(日本社会も)進んできた。では、例えば企業の役員レベルで意思決定の場に入れるかといえば、いまは『立ち止まった状態』だろう。

 

-日本全体の状況は

 

女性が突き当たる壁がある。意欲はあるのだが、結婚して、子供ができた場合に、両立させるということがかなり困難になるという現実。そこをまず解決しないといけない。中間管理職まではなんとかできるようになった。子育て支援が奏功しているからだろう。

 

-そうした中で“女性蔑視発言”の問題が取り沙汰された

 

意識の改革が必要であり、今回のこの問題は象徴的といえる。森さんも悪気は全く持っていない。人をすごく大事になさる方だから。でもそこが潜在的に『まだ』という部分。森さんや私たちの年代は女性にやらせる勇気がない。むしろ、擁護したくなる気持ちになるのかもしれない。

 

-自身の経歴を振り返ると

 

自分が生きてきたなかでは、まあ、苦しかった。(女性としての立場などを)理解してもらうのが本当に難しかった。たとえ同性同士でも、どうしても理解できないことはあり、男性と女性の間でもそうだろう。そうしたなか、私自身はただ一言、『苦しかった』という思いしかない。

 

 

「言わないクセ」

 

-職場内ではどんな思いを抱いていたか

 

双方がなにか一緒に突破していきたいというときに、私からは何も言えない。本当に我慢した。ただ忍耐しかない。そうすると、うまくいく。我慢し続けているとうまくいった例だろう。ただ、私には言いたいことを言わないクセがついてしまっていて、『それでいいのか』という思いがあった。

 

-いまも同じ思いか

 

『忍』の一字で生きてきたが、その呪縛から抜け出し、解放されたのが横浜市役所だった。ただ、最初からではなく、約11年半在籍しているなかで徐々に解放されたといえる。

 

-きっかけは

 

(市役所組織という)男の人の文化のなかで、言いたい放題、言い、やり合った。公務員は言いたいことを言わずに我慢する人が多い。しかし、それではいけない。自分がそれまで我慢しっぱなしだったので。(我慢することは)自分の気持ちも傷つけてしまうし、本当のことを言ってくださいと(言い続けた)。

 

-市役所内に変化が生まれた

 

いまは、もはや男も女もない。多様性そのもの。いろんな方がいて、なんの差別もなくやっている。そんななかで私がたどり着いたのが、部下をリスペクト(尊敬)するということ。部下全体に対し、尊敬の思いしかない。トップに立つ人が、部下をリスペクトできたときに、最高の組織ができあがるのではないだろうか。

 

 

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