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謹賀新年。
今年は干支(かんし)で言えば、寅(いん)すなわち虎年(とらどし)である。とあれば、虎について述べよう。タイガースファンの老生としては嬉(うれ)しい。
さて虎、これは手強(てごわ)い。老生は鼠(ねずみ)年生まれなので、震えながらの話になるが。
この虎、中国では恐れられてきた。ライオンはアフリカやインドにおいて王者であるが、東北アジア(日本、中国、朝鮮半島など)にはいなかった。だから、虎は東北アジアの動物界では王者であり畏(おそ)れられていた。
ということで、東北アジアでは虎自体について、一種の神秘性を感じていた。すなわち人間はもちろん諸動物の力量を超えたなにかとして。
例えば虎の風貌。虎口(ここう)、虎爪(こそう)、虎牙(こが)、虎視(こし)、虎睛(こせい=目)、虎嘯(こしょう=吠(ほ)え声)、虎髯(こぜん=ひげ)、虎頭(ことう)…とうんざり。
それは人間を超えた不気味さだ。古典中の古典である『易』乾卦(けんか)には「雲は竜に従い、風は虎に従う」とある。すなわち「虎の行くところには必ず風が起こる」ということ。古代人は、自然現象を起こす神秘性を虎に感じていた。
それは、虎の諸能力(走る、闘う、発声など)が他動物を超えている畏怖の結果であろう。
そこからか、不思議な話がよく残されている。例えば武人が虎と出合い、矢を放つという伝説。結果はと言うと、放った矢が虎に命中し、虎が動かなくなる。そこで武人が近づいて見てみると、なんと虎ではなくて石であったという。しかも矢は石に突き刺さっていた。
この話、何度も出てくる。言わば、優秀武人の定番伝説みたいなものである。中には、矢が石を貫いていたと言い、その武人が日を改めて矢を放つとその石を貫けなかったという後日談もよくある。
これは虎の持つ神秘性を上回る人間力を示す伝説が好まれるようになったからであろうか。
そのあたりからか、虎を人間の生活に身近なものとして引きつけるようになってくる。
例えば日本でも虎が自分の子をよく可愛(かわい)がるところから、大切なものを「虎の子」と言う。
もっとも、中国では、「虎の子」すなわち「虎子(こし)」と言えばなんと「おまる(便器)」のことではあるが。
さて、虎と人間との関係について、次のような有名な話が残っており、日本の高校の漢文教材によく引用されている。
孔子は弟子を連れて諸国を流浪したが、泰山(たいざん)という有名な山の近くを通っていたとき、ある墓地で号泣している女性と出会った。そこで孔子は、弟子の子路(しろ)にそのわけを聞きにゆかせたところ、なんとこういう事情であった。女性の舅(しゅうと)(夫の父)を始め、夫も子も次々と虎に殺され、泣いているとのこと。
では、どうしてそのような危険な土地から安全な地に移転しないのかと問うたところ、女性はこう答えた。「この地は税金が安いんです」と。子路からそういう事情だと聞いた孔子は、「苛政(かせい)(重税)は虎より猛(もう=残酷)なり」と言ったという(『礼記(らいき)』檀弓(だんぐう))。
筆者:加地伸行(大阪大名誉教授)
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2022年1月10日付産経新聞【古典個展】を転載しています