幸せな野球人生を全うしたといえるだろう。
現役引退を表明する会見で、大リーグ、マリナーズのイチローは「後悔などあろうはずがありません」と述べた。
スポーツ選手に限らず多くの人は、現役に未練を残して引退する。しかも、イチローにこのせりふを言わせたのは、東京ドームを埋めた観衆の大歓声だった。イチローを幸せな選手と思わせる、最大の理由である。
プロ選手としてのデビューはオリックス時代の平成4年だから、平成の一時代に日米の野球界を走攻守で牽引(けんいん)したといっていい。阪神大震災が起きた7年には「がんばろう神戸」を合言葉に、オリックス優勝の立役者となった。
7年連続首位打者の日本記録とともに海を渡ると、マリナーズの1年目にリーグMVP、新人王、首位打者を独占した。
その後もシーズン最多安打など数々の大リーグ記録を塗り替え、その度、シューレス・ジョー・ジャクソン、ウィリー・キーラー、ジョージ・シスラー、タイ・カッブら、歴史上の名選手の名を現代に蘇(よみがえ)らせた。
右に左に安打を打ち分け、当たり損ねは俊足で内野安打とする。守っては「レーザービーム」と称賛された強肩で走者を刺し、塁上では巧みな走塁と滑り込みで「忍者」と呼ばれた。
パワー重視のあまりに薬物摂取が蔓延(まんえん)した大リーグで、クリーンでスピード豊かなイチローの存在は本場の野球観を変えた。これを支えたのは長年、体形と体脂肪率を維持したたゆまぬ鍛錬である。イチローは努力の天才であり、真のスーパースターだった。
イチローは自身が先発出場した東京での2連戦を「ギフト(贈り物)」と呼んだ。そして引退会見では子供たちへのメッセージを求められ、こう答えた。
「自分が熱中できるもの、夢中になれるものを見つけられれば、それに向かってエネルギーを注げるので、そういうものを早く見つけてほしい。それが見つけられれば、自分の前に立ちはだかる壁に向かっていける、向かうことができると思う。いろいろなことにトライして、自分が向くか向かないかよりも、自分が好きなものを見つけてほしい」
この言葉は、努力の天才から受け取る子供たちへの、すてきなギフトである。