ドイツ北部シュレスウィヒでの記者会見冒頭、
ロシアのプーチン大統領(右)と話すゴルバチョフ元ソ連大統領
=2004年12月(AP)
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ウクライナ侵略を続けるプーチン・ロシア大統領は、8月30日に死去したゴルバチョフ元ソ連大統領の「新思考外交」の遺産をどこまで台無しにするつもりなのか。
特に懸念されるのが、東欧諸国をソ連支配の桎梏(しっこく)から解放すべく撤廃した「ブレジネフ・ドクトリン(制限主権論)」の復活である。
ウクライナでの「勝利」を許せば、「帝国再興」の妄念に憑(つ)かれた暴君の刃(やいば)は米欧を志向する他の旧ソ連諸国、さらには北大西洋条約機構(NATO)に加盟済みの欧州各国に向く危険性もある。
そんな最悪の事態を断じて許してはならない。自由主義陣営は8年前に併合されたクリミア半島の奪還を含めて反転攻勢に出ているウクライナのゼレンスキー政権との連帯を一段と強め、軍事・経済的支援に全力を挙げるべきだ。
制限主権論は、ブレジネフ書記長時代のソ連が1968年、チェコスロバキアの民主化運動「プラハの春」を踏みにじったソ連・ワルシャワ条約機構軍の武力弾圧を正当化するため編み出した。「社会主義圏全体の利益は圏内のどの一国の利益にも優先する」という強引極まる理屈付けである。
ゴルバチョフ氏が88年にその放棄を表明するや、翌89年、東欧諸国は相次いで共産主義体制を捨てた。同年にベルリンの壁は崩壊し米ソは冷戦終結を宣言した。さらに90年に東西ドイツが統一し、91年にはソ連自体が解体した。
東欧支配の終結には、泥沼戦争となったアフガニスタンからの撤退とともにソ連の軍事負担を軽減する思惑もあったが、ゴルバチョフ氏の地政学的な英断だった。
プーチン氏は、この一連の領土と勢力圏の喪失を「地政学的大惨事」と嘆いてウクライナを侵略した。「プーチン・ドクトリン」とも呼ぶべき歴史の歯車の逆回転は阻止しなければならない。
ゴルバチョフ氏は今回の侵攻の直後、病床から「ロシアの敵対行為の早期停止と和平交渉の即時開始」を訴える声明を発表した。
ゴルバチョフ氏はウクライナに近いロシア南部のスタブロポリの出身で、23年前に死去したライサ夫人はウクライナ人だ。ソ連最後の日の91年12月25日夜の演説で「私は不安をもって去る」とクレムリンを後にした。この侵略の行方に大いなる不安を抱きつつ冥界に旅立ったことだろう。
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2022年9月2日付産経新聞【主張】を転載しています