新型コロナウイルス禍による社会経済情勢の変化を受け、東京五輪・パラリンピックの簡素化が検討されている。
大会組織委員会と国際オリンピック委員会(IOC)は、従来の計画のうち52項目について見直すことで合意した。
選手を除く五輪関係者の参加を10~15%減らすほか、競技会場での派手な演出の取りやめ、IOC関係者向けのラウンジで提供する飲食の簡素化などが挙がっている。
コロナ禍で「物事の優先順位が変わった」とする組織委の説明はうなずける。選手が実力を発揮できる環境を整えることこそが大事であり、これに直結しない競技会場のスモーク演出などを省く判断は妥当だろう。
IOC委員らのぜいたくな振る舞いは、過去の大会でも問題視されてきた。コロナ禍でようやくあぶり出された無駄といえる。東京だけの特例に終わらせるのではなく、将来の五輪にも遺産として引き継いでほしい。
ただし、今回の簡素化による削減額は数百億円にとどまる見通しだ。競技数や選手数を変えずに大会規模を維持するほか、開閉会式の時間短縮も、放送局の理解が得られないとして見送った。
大会延期による追加費用は数千億円規模とみられる。提示した削減額は十分でなく、開催への風当たりがかえって強まる恐れもある。さらなる努力が必要だ。
組織委は、コロナ禍の前からコスト削減に取り組んできた。削れる部分はほとんどなかったというのが実情だ。国民や都民の反感を買わぬよう、東京都や政府にも丁寧な説明を求めたい。
「聖域なき見直し」というバッハ・IOC会長の掛け声はご都合主義の方便というべきで、追加費用の相当額を負担するなど、やるべきことが他にあろう。簡素化も大事だが、コロナ対策の方が優先順位が上ということだ。
コロナ対策の徹底により、誰もが安心して参加、観戦できる大会の開催が最大の目的である。世界各地から訪れる選手は、入国の際や選手村など日本国内での活動で大きな制約を受ける。その上、大会開催が罪悪視されるムードをつくってはならない。
無駄を省く作業は必要だが、大会運営やコロナ対策に万全を期すには譲れない予算もある。これを惜しんでは本末転倒である。
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2020年10月6日付産経新聞【主張】を転載しています