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冬季オリンピック北京大会が開幕した。開会式が行われた「鳥の巣」と呼ばれる国家体育場には習近平国家主席、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長の他、ロシアのプーチン大統領、カザフスタンのトカエフ大統領ら、昨年末の民主主義サミットに招かれなかった強権国家のトップの顔ばかりが並んだ。
貴賓席のこの光景が、大会を象徴していた。
国際社会の支持はない
米英豪などの各国は新疆ウイグル自治区や香港の人権弾圧を理由に外交的ボイコットを表明した。日本も政府高官を北京には送らなかった。インド公共放送は2年前の中印衝突で負傷した人民解放軍兵士が聖火リレー走者に起用されたことに抗議し、開閉会式を生中継しないと発表した。
すでに競技は始まっており、アイスホッケー女子では日本代表がスウェーデンに快勝し、フィギュアスケートの団体では宇野昌磨らが好スタートを切った。4年に1度の大舞台を戦う内外の選手らには精いっぱいの拍手を送りたい。ただし大会そのものは歓迎できない。深刻な人権問題を抱える中国の首都が「平和の祭典」の開催地にふさわしくないからだ。
IOCは3日、北京市内で総会を開き、バッハ会長は「北京は夏と冬の五輪を開催する最初の都市となる全ての準備を整えた」と述べ、大会は「国際社会の強い支持を受けている」と評価した。
耳を疑った。この状況のどこをみれば「国際社会の強い支持」と受け止められるのだろう。
開会式出席者には世界の人権状況に目を配るべき国連のグテレス事務総長や、中国・武漢を起源とする新型コロナウイルスとの戦いを指揮する世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長の名もあった。
IOCも含めた国際機関・組織の中国傾斜こそ異様に映る。そのような姿勢のIOCに大会期間中の選手、関係者を守れるのか、はなはだ疑問である。
IOCは昨年の東京五輪前、五輪憲章の規制を一部緩和し、一定の条件下で選手が宗教や人種問題で意見を表明することを認めた。これに対し北京五輪の組織委員会は「中国の法律に違反すれば処罰対象になる」と警告している。
留意すべきは、中国が「法の支配」の価値を共有せず、「法は党の指導下にある」と明言していることだ。中国共産党に都合の悪い言動は法の名の下にいかようにも処分できるということだ。国内の人権活動家に対する法の恣意(しい)的運用例は枚挙にいとまがない。
米国のプライス国務省報道官は北京五輪に関して「米国人選手は人権尊重をうたう五輪憲章にのっとって自分の考えを自由に述べる資格がある」と述べたが、ペロシ米下院議長は選手団に「中国政府の怒りを買うリスクを冒さないで。彼らは冷酷だからだ」と呼びかけた。こうした懸念を払拭することこそIOCに求めたい。
具体的にはバッハ会長が直接、習近平国家主席から、IOCが認める範囲内での言論の自由について明確な言質をとることだ。だが聞こえてくるのは、習氏と中国への礼賛の言葉ばかりである。
競技は全力で応援する
習氏は大会前、選手らに「大会の成功は『中華民族の偉大な復興』への自信を強める。主催者として(競技でも)好成績を得なければならない」と訓示した。いやでも、ヒトラーのナチスドイツが「アーリア民族の優秀性」を誇示すると位置付けた1936年のベルリン五輪を想起する。
ただし大会を象徴したスター選手は米国の黒人ランナー、陸上短距離種目と走り幅跳びで4冠に輝いたジェシー・オーエンスであり、日本人にとっての記憶は200メートル平泳ぎでドイツ選手に競り勝った「がんばれ」の前畑(兵藤)秀子の金メダルだった。
彼ら彼女らは何もナチスに対抗するために駆け、泳いだわけではない。自身と支えてくれた人、そして母国のために純粋にベストを尽くした結果だったろう。今大会でも競技は全力で応援する。
本来競技者の真摯(しんし)な奮闘には独裁者の威光も及ばない。競技に専念できる公平な大会であることがその前提だ。組織委に求めるのはその環境作りであり、IOCにはこれを保証する責任がある。開催都市や為政者におもねってばかりいては自らの存在価値を失う。
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2022年2月5日付産経新聞【主張】を転載しています