国連教育科学文化機関(ユネスコ)は9月、「世界の記憶」(世界記憶遺産)改革で、目標だった「今年内の実現」を断念した。改革案を検討する作業部会で、日本の主張に沿った新制度の大枠が固まる一方、韓国の反対で最終結論に至らなかったため。審査が凍結された慰安婦関連資料をめぐる日韓の対立が背景にある。
作業部会が9月まとめた報告書は「改革の核心」で答えが出なかったと明記した。問題となったのは、登録申請された後、「内容が史実と異なる」などとして加盟国から異議が出た案件への対応。関係者によると、対話で決着がつかない場合、日本は「審査継続は困難」との立場を示し、多くの国が賛同した。韓国は「審査対象から除外すべきではない」と主張した。
韓国が登録を支援する慰安婦関連資料は2017年、日本の強い反対を受けて登録判断が見送られており、韓国は新制度の導入で「同資料が審査枠から外されるのを警戒した」(外交筋)とみられている。
作業部会は昨年、設立された。世界の記憶審査の透明化に向け、加盟国が関与する制度のあり方を検討してきた。これまでの審査は専門家で作る諮問委員会が非公開で行い、加盟国が申請案件に疑義を抱いても発言の場がなかったため、「政治利用につながる」との批判があった。作業部会の報告を基に、ユネスコ運営を担う執行委員会(58カ国で構成)で10月、改革案がまとまる予定だった。
改革は15年、「南京大虐殺文書」の登録をきっかけに、日本が強く主張してきた。ユネスコのアズレ事務局長も改革を支持。作業部会の論議には最多で100カ国・地域が参加するほど、関心は高かった。
作業部会では審査について、(1)申請案件には最長90日間、加盟国の異議申立期間を設ける(2)登録は、執行委員会が最終的に承認する-などと大筋合意した。来月の執行委員会はこの報告を踏まえ、18カ国程度の小グループによる協議を継続し、来年中の改革実現を目指す方針を決める予定。だが、ユネスコ筋は「日韓が対立し続ける限り、協議は結論に至らないだろう。改革実施のめどがつかない」と懸念を強めている。
慰安婦関連では、日米の非政府組織(NGO)が「慰安婦は性奴隷でなかった」と示す別の文書を登録申請。ユネスコは「双方の対話」の可能性を探っているが、見通しは立っていない。
韓国孤立 中露は日本同調
ユネスコの「世界の記憶」改革案を検討する作業部会では、「政治利用の阻止」を掲げる日本を中国やロシアなど多数が支持し、「韓国は孤立する場面が目立った」(外交筋)という。ユネスコは改革のため2年間、新規申請を受理しておらず、制度再開の遅れに不満を示す国も出てきた。
世界の記憶改革は2015年、中国の「南京大虐殺文書」が登録されたのを機に日本が主張してきた。専門家で作る諮問委員会が非公開で行う従来の審査方法では、登録という「お墨付き」で文書内容を正当化しようとする「政治化」が防げないためだ。だが、作業部会で中国は日本に同調し、加盟国の審査参加で、制度を透明化すべきだという方針を支持した。
中国の姿勢の変化について、外交筋は「自国に都合の悪い案件が出ても、従来の審査では登録を阻止できないと判断したからではないか」と分析する。中国に対しては、1989年の天安門事件をめぐり、民主活動家らが関連資料の登録を訴えていた。ロシアについては、旧ソ連リトアニアでスターリン政権によるシベリア強制移住の記録で登録申請を目指す動きがある。
作業部会では「加盟国から異議が出た案件」以外の申請について審査の大枠が決まった。国内文書の登録申請を目指すブラジルなどは、「新制度で『異議なし案件』だけでも審査を再開すべきだ」と主張。妥協点を探るため、作業部会の議長国アルバニアなどの仲介で日韓双方の協議も行われたが、決着しなかった。
ユネスコ関係者によると、韓国は新制度に基づく審査の一部再開にも応じず、「慰安婦関連資料だけ審査から取り残されるのを懸念したのではないか」という。韓国のユネスコ代表部は「制度改革は進行中。現段階でコメントできない」としている。登録申請を目指す案件は100件以上あるとみられている。
筆者:三井美奈(産経新聞パリ支局長)
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【用語解説】世界の記憶
重要な歴史文書や映像フィルムの保存や開示を促すためにユネスコが登録する事業で、1992年に開始。フランスの「人権宣言」、ドイツの「ゲーテの直筆文学作品、日記、手紙等」、日本の「御堂(みどう)関白記」など400件以上が登録されている。