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中国がインドネシアで手がける東南アジア初の高速鉄道計画が迷走している。工期が遅れ、事業費が膨張した上、インドネシアは想定しなかった負担も強いられている。計画は中国が日本から奪い取る形で受注した。日本には苦い経験だが、人材育成を含めた「持続可能」なインフラ整備の支援が中国への対抗のカギとなる。
高速鉄道はインドネシアのジャワ島にある首都ジャカルタと同国第3の都市バンドンを結ぶ。総延長142キロ。来年6月の開業を目指しており、ジョコ大統領は10月、「既に88%は完成した」と述べた。だが、11月上旬にバンドン郊外の駅建設現場を訪ねると、駅舎らしき建物があるどころか、線路が通る高架にレールも敷かれていない。
「いつ完成するのか、どんな駅や鉄道になるのかも分からない」。工事現場近くでサテ(インドネシア風焼き鳥)屋台を営む男性、デディさん(47)はこう語り、かぶりを振った。地元業者は工事にほとんど携わっていないという。
ジャカルタとバンドンの間には路線バスが既に運行している。片道約3時間を要するが、運賃は10万ルピア(約930円)余り。在来線も通る。一方、高速鉄道が開通すれば、ジャカルタまでの所要時間は約40分にまで短縮するが、乗車賃は少なくとも路線バスの倍以上になると予想されている。
「(高速鉄道は)金持ち向けだと感じる」。デディさんの言葉は庶民を代弁しているかのようだ。「個人的には完成しても利用しないだろう」と語った。
現場では完成済みの高架から200メートル以上離れた場所でも、カメラを持っていただけですぐに警備員に詰問された。他のアジア諸国で中国によるインフラ事業を取材した際の厳しい情報管理と、記憶が重なった。
日本の後味悪い経験
日本はこの高速鉄道計画で後味の悪い経験をした。
計画はユドヨノ前政権時代(2004~14年)に浮上し、日本は08年頃から現地調査に協力。13年末に国際協力機構(JICA)が事業化調査に着手したが、巨大経済圏構想「一帯一路」を推進する中国が途中で関心を示した。日本の計画は事業費の約75%を低利の円借款で供与し、残りをインドネシア側の負担とする内容。中国は全額融資し、インドネシアの直接的な財政負担はないと強調した。
15年9月、ジョコ現政権が中国案採用を決めると、菅義偉官房長官(当時)は「常識では考えられない」と不快感をあらわにした。日本が実施した地質調査や需要予測などが中国側に流れた疑いも上がった。
予算15億ドル膨張、採算性疑問も
開業は当初予定の19年から複数回延期された。土地収用の遅れや新型コロナウイルス禍の影響のためだ。インドネシア下院の国土開発委員会に所属するスリャディ・プルナマ議員は「仕方ないかもしれない」と延期に一定の理解を示す。だが、「問題は事業費の膨張とインドネシアの負担だ」と説明した。
中国は当初、事業費55億ドル(約8千億円)と提案し、契約締結後に60億ドルに上方修正した。その後、工事の遅れや資材の高騰などのため、インドネシア政府の試算ではさらに15億ドル以上膨れ上がる見通しだ。
この15億ドル以上の超過分の負担を巡り、政府と中国側は交渉中だが、ジョコ氏は既に約4兆3千億ルピア(約400億円)の国家予算投入を表明した。「中国は拡大した事業費すべての面倒を見る気はないということだ。インドネシアが負担せざるを得ない」。プルナマ氏は中国の当初の約束と異なる状況に憤る。
そもそも高速鉄道は採算が取れない可能性が高い。150キロにも満たない距離は日本でいえば東京-静岡間程度。高速鉄道で結ぶには中途半端ともいえる。さらに競合する路線バスや在来線がある。日本も採算性に懸念を抱いていた。
開業後に利益が出るまでに40年かかるとの試算もあり、公共事業に詳しいバンドン工科大のサリム上級講師は「長期間の運営を維持するためには継続的な資金提供が必要になるかもしれない」と警鐘を鳴らす。
「負のレガシー」にも
高速鉄道の採算性を高めるため、現在、バンドンから国内第2の都市スラバヤまで延伸させる計画が議論されている。アイルランガ調整相(経済担当)はジョコ氏の意向として、日本に協力を求めると表明した。だが、ルフット調整相(海事・投資担当)は「配偶者を変えることは避けたい」と中国による事業継続を主張。政権内で意見は統一されていないようで、延伸計画の行方は判然としない。
ただ、24年に任期を終えるジョコ氏は、高速鉄道を自らのレガシー(政治的遺産)にしたい意向が強い。そのため、公共交通についての提言を行う非政府組織(NGO)「インドネシア運輸政策研究所」のダルマニンティアス所長は高速鉄道の行方をこう予想する。
「中国とインドネシアは成功を印象付けるため、高速鉄道の利点だけを発信し続けるだろう。ただ、ジョコ氏は経済的に問題があることを知りながら工事を続けている。このままでは負の遺産と化す」
日本、首都都市鉄道で存在感
日本はインドネシア高速鉄道の受注で敗れたが、首都ジャカルタでの都市高速鉄道(MRT)整備で存在感も示している。技術者らの人材育成なども同時に行い、価格だけではない持続可能な「質の高いインフラ整備」を目指している。
公共交通機関が未発達なジャカルタは「世界一渋滞が深刻な都市」と呼ばれ、その解消が大きな課題だ。国会は1月、首都の行政機能をカリマンタン島(ボルネオ島)東部へ移転させる関連法案を賛成多数で可決した。渋滞緩和は移転の理由の1つとなった。
日本が1953億円の円借款を実施した「MRT南北線」は19年3月に開業した。車だと2時間かかることもあるジャカルタ中心部と南部の全長15・7キロを約30分で結んでいる。中国による高速鉄道整備が遅れるのを尻目に、予定通り開業を実現した。
線路敷設や地下工事だけに限らず、信号や自動改札といった機器も日本企業が納入。車両のメンテナンスなども日本の技術者が支援している。指さし確認など日本の安全対策のノウハウも指導し、JICAジャカルタ事務所は「工期の順守や人材育成など日本にしかできない質の高い援助を行いたい」と説明する。
南北線を北に延伸させる第2期工事も始まり、日本は既に円借款700億円を供与。ジャワ島では北部の在来線準高速化計画の事業化調査も始めた。一方、MRT第3期工事となる「東西線」には、中国がアジアインフラ投資銀行(AIIB)を通じた融資に意欲を見せ、再び日中の受注合戦になる可能性がある。
中国のアジア鉄道建設、債務に警戒
中国は「一帯一路」の中心事業の1つに鉄道網の整備を据え、近隣国で鉄道の建設を進める。経済的な関係を強め、これらの国を取り込む狙いとみられる。だが、中国の融資による債務負担への警戒感も強い。
昨年12月、中国雲南省・昆明とラオスの首都ビエンチャンの約1千キロを結ぶ「中国ラオス鉄道」が開通した。ラオス国内の区間の総事業費59億ドル(約8600億円)のうち、6割以上が中国の政府系金融機関からの有利子の借り入れで賄われている。
中国外務省の趙立堅(ちょう・りつけん)報道官は今月7日の記者会見で、開業から1年を控えた同鉄道について、中国と東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国が「質の高い共同努力を行っていることを鮮明に示すもの」と胸を張った。ただ、中国が「ゼロコロナ政策」で国境を越えた往来を制限し、利用が伸び悩んでいるとの見方もある。
ヒマラヤ地域では、中国チベット自治区内の鉄道をネパールの首都カトマンズまで延伸する計画がある。年内にも中国の技術者が現地調査を始める見通し。シンクタンク「ネパール国際協力・参画研究所」のプラモド・ジャイスワル研究員は、ネパールのインフラ整備の重要性を強調しつつ、「採算や債務の返済可能性が優先されなければならない」と語り、拙速な事業推進に警鐘を鳴らしている。
■インドネシア
東南アジア南部に位置する約1万3千の島で構成される島嶼(とうしょ)国。人口は約2億7千万人で東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国最大。首都ジャカルタがあるジャワ島に人口の約6割が集中している。ジョコ大統領は2014年に初当選し、現在2期目。独立100周年となる45年に「世界第5位の経済大国となる」と宣言し、国内のインフラ整備を進めている。
筆者:森浩(産経新聞)
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2022年11月10日付産経新聞【特派員発】を転載しています