Kazuo Inamori 001

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京セラとKDDIを創業し、経営破綻した日本航空の再建にも尽力した京セラ名誉会長、稲盛和夫(いなもり・かずお)氏が8月24日、老衰のため死去した。90歳。葬儀・告別式は近親者で行った。後日、お別れの会を開く予定。

 

昭和7年、鹿児島市生まれ。京都の碍子(がいし)メーカー勤務を経て同34年、27歳で京都セラミック(現京セラ)を創業した。現在も半導体やスマートフォンの部品に使われる新素材「ファインセラミックス」の開発を成功させたことを契機に業績を急成長させ、電子部品や通信機器、太陽光パネルなどを手がける世界的な企業に育てた。61年会長、平成9年名誉会長。17年に取締役を退任した。

 

KDDI発足記者会見に出席する稲盛和夫氏(右から2人目)=2000年10月2日

 

経営においては「アメーバ経営」と名づけた独自の経営手法を導入。会社組織をアメーバのような小さな集団に分け、リーダーを中心に個々の集団を独立採算で運営するという全員参加型経営を推進し、高収益体質の原動力にした。

 

M&A(企業の合併・買収)にも積極的で、昭和58年にカメラメーカーのヤシカ、平成元年に電子部品メーカーのエルコ、2年に同メーカーの米国AVX、12年に複写機メーカーの三田工業などを傘下に収め、事業の多角化を図った。

 

 

「心の経営」を実践 京都賞、財団も創設

 

京セラを一代で世界企業に育てた稲盛和夫氏は、実業家として大成していく過程で次第に「心の経営」に傾倒していった。

 

それを表す一例が「人生や仕事の結果は、熱意と能力と考え方の掛け算である」という「人生の方程式」だ。「熱意」と「能力」は0~100点まであるのに対し、考え方はマイナス100~プラス100点まである。たとえ能力が劣っていても、熱意があればカバーできるとした。

 

しかし、「考え方」が正しくなければ、決して良い結果は得られない。むしろ能力、熱意があるだけに、社会には大きな害になると説いた。それほどまでに心の姿勢を重視した。

 

M&A(企業の合併・買収)や第二電電(現KDDI)の設立など重要な意思決定の際は、必ず「動機善なりや。私心なかりしか」と自問自答を繰り返したことで知られている。

 

一方、稲盛氏の大きな功績に人類社会の進歩発展に顕著な功績のあった人を顕彰する「京都賞」の創設がある。「世のため、人のために生きることが、人間として最高の生き方である」との考えのもと、保有していた現金や京セラの株式など計200億円を拠出して昭和59年に「稲盛財団」を設立した。稲盛氏は当時50代だったため、一部からは「若僧が大それたことを…」と批判的な声も上がったが、現在は〝日本版ノーベル賞〟とも称され、受賞者からは京都大iPS細胞研究所の山中伸弥名誉所長をはじめとしたノーベル賞の受賞者も輩出した。

 

日本航空の会長に就任し、会見する日本航空会長の稲盛和夫氏=2010年2月、東京・台場の日航ホテル東京

 

稲盛氏は著書や講演で、「人が生きる目的は何か。それは心を高めることである。魂を磨き、生まれたときより少しでも美しい心になって死んでいくことである」と繰り返し強調。心のあり方を追求していく過程で、次第に仏教に帰依していった。平成9年には「改めて人生をもう一度考えたい」と経営の第一線から離れ、京セラ、DDIの名誉会長に退いた。

 

しかし、その経営手腕を望む声は根強く、22年に日本航空の経営再建で現場復帰。V字回復を実現させ、経営者として伝説的な存在となった。

 

稲盛氏は令和元年7月に行われた「盛和塾」の最後の世界大会に寄せたビデオメッセージで、自らの人生をこう述懐している。

 

「幾度も想像を超えた素晴らしい出来事に遭遇できたのは、決して運や能力によるものではないと私自身は考えています。より良く生きようとするピュアな考え方が素晴らしい運命を招き寄せるのです」

 

令和2年8月には学術経験者らで設立された「稲盛和夫研究会」に、自身が残した膨大な経営資料を提供し「私が半世紀以上にわたり取り組んでまいりました経営を個人の『奇跡』ではなく、経営に携わる全ての人々が活かすことができる『原理原則』とすることになるものと信じています」とメッセージを寄せた。

 

80歳を超えても月に2、3回は京セラや財団に顔を出していたが、晩年は食が細くなり、京都市内の自宅から出ることはほとんどなくなった。京セラや財団の幹部は用事があると自宅を訪れていたという。

 

新型コロナウイルスの感染拡大以降は自宅で過ごす日々が増える中でも執筆活動を続け、令和2年10月には著書の発行部数が国内外で2千万部を超えた。

 

自ら高い理想を掲げ、それを愚直なまでに実践していった姿は、多くの人々の人生を照らす指針として後世に受け継がれていくだろう。

 

 

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