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イスラム過激派組織タリバンが8月15日、アフガニスタンの首都カブールをほぼ制圧し、アフガン全土を支配下においた。
これについての日本メディア報道には一定の奇妙な傾向が見られた。一斉に「アメリカのせい」だと報じたのである。
日経新聞は8月16日の「米介入20年『力の支配』限界 タリバン、終戦を宣言」という記事で、米国の「力による支配」と「国家建設の試み」が失敗に終わった原因は、「テロとの戦いに明け暮れ、一般のアフガン国民が成長の果実を実感できなかったことにある」と分析した。
しかし、そもそも20年前、米軍がアフガンに侵攻したのはテロとの戦いのためだ。それを「テロとの戦いに明け暮れていたではないか」と批判するのは道理に合わない。またテロを放置したまま、アフガン国民が「成長の果実を実感」できるようになるとは考えられない。実際米軍は、一度はタリバン政権を崩壊に追いこむという成果を挙げた。その後アフガンにタリバンに対抗できる軍が育たず民主主義が根付かなかったのは、必ずしも「アメリカのせい」だけではない。米批判を前面に出すあまり、暴力によって全土を支配したタリバンや、タリバンと戦う気などなく敗走した政府軍、腐敗したアフガン政権、国外逃亡した大統領といったアフガンに内在する問題を省みないのでは、反米イデオロギー喧伝のためにアフガン情勢を利用していると批判されても致し方あるまい。
「米国の責任」…朝日新聞の社説は本当か
朝日新聞は8月17日の朝刊に「アフガンと米国 『最長の戦争』何だった」という社説を掲載し、以下のように米批判を展開した。
「米国の責任は重大」
「テロの根源は、各地に広がる紛争や格差、貧困であり、失敗国家をなくさない限り、安全な世界は築けない。同時テロから学ぶべき教訓を生かさず、軍事偏重の行動に走り続けた結果、疲れ果てたのが今の米国の姿ではないか」
しかしアフガンの責任を担うべきは第一にアフガン人自身であるはずだ。またタリバンの武装攻撃はタリバンにとっては「テロ」ではなく、神の命令に従ったジハードの敢行であり、彼らが目指すのはイスラム法統治だ。彼らが戦うのは格差に憤っているからでも、貧乏だからでもない。「テロの根源は格差・貧困」という主張は、書き手がイスラム過激派の「テロ」の本質について完全に無知であることを露呈させている。
タリバンがほとんど抵抗らしき抵抗を受けることなくカブール制圧にまで至った事実は、今後「タリバンを含む暫定政権の樹立」といった軟着陸が困難であることをうかがわせる。タリバンが単独政権を樹立しイスラム法による統治を強行すれば、この20年間にアフガン女性たちが徐々に獲得してきた権利や自由は一挙に、完全に失われる可能性が高い。
タリバンは今になって急にアフガン全土を制圧したわけではない。これまでも各地を支配下におき、イスラム法統治を行なってきた。国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチの2020年6月の報告によれば、タリバン支配下ではイスラム法的統制により人々の基本的人権が著しく損なわれており、第二次性徴を迎えた女子は通学を禁じられ、女性は男性親族のつきそいなしには家から出ることを認められず、外出時には全身を覆い隠すブルカの着用が義務付けられ、就労も、男性医師の治療を受けることも禁じられている。
今アフガンは、この状況が全土に広がる危機に瀕している。
アフガン復興のため20年間にわたり約68億ドル(約7500億円)を支援してきた日本国民として、我々はこうした暗い見通しを深刻に受け止める必要がある。全てを「アメリカのせい」にする「報道」をいくら続けたところで、それは単にメディアやジャーナリストの自己満足にしかならず、アフガンの現状や先の見通しについて日本の一般国民には一切伝わらない。こんなものは「報道」とは呼べまい。
イスラム法の統治…理解されていない本質
日本メディアのアフガン報道の問題点は他にもある。それは彼らがどうやら、アフガン人の価値観と欧米由来の近代的価値観とは全く異なるという本質的な問題について理解できていないようだという点だ。たとえばタリバン報道官が「イスラム法の認める範囲で女性の人権を認める」と述べた際、ほとんどのメディアはそれが近代的な女性の人権とは全く異なることを指摘しなかった。
アフガン人のほとんどは敬虔なイスラム教徒であり、一般にイスラム教徒として敬虔であることは、彼らが神の言葉と信じる『コーラン』の文言に忠実に生きることに最大の価値を置くことを意味する。
2013年に米拠点の調査機関ピュー・リサーチ・センターが実施した世論調査では、調査対象となったアフガン人の99%が「イスラム法による統治を望むか」という質問に対し「はい」と回答した。『コーラン』第5章44節には「神が下されたもの(啓示、イスラム法)に従って裁きを行わない者は不信仰者である」とあるため、改めて「イスラム法統治を望むか」と質問された場合「いいえ」と回答するのはイスラム教徒にとっては難しい。それを勘案しても、同じくイスラム諸国であるエジプトで「はい」の割合が74%、インドネシアでは72%であることと比較すると、アフガン人のイスラム法統治支持率の高さは特筆すべきものがある。しかも当該調査は、米軍侵攻によるタリバン政権崩壊の後に行われていたのである。
イスラム法統治とはすなわち神の命令を絶対的価値とする統治であり、そこでは人間の発案した近代的価値などとるに足らないものとして打ち捨てられる。この価値観の絶対的差異について認識が不十分だったのは、米当局も同じであろう。しかし、今回のタリバンによるアフガン制圧に際し、まるで鬼の首をとったかのように「アメリカのせい」だと執拗に繰り返すメディアもまた、同じ穴の狢である。
武力でもカネでも、神の命令を絶対とするアフガン人の価値観を強制的に変えさせることなどできない。それができるとすれば、アフガン人の中に、イスラム的価値観と近代的な自由や人権、民主主義といった価値観をすり合わせていく必要があると信じる人が現れた時である。
筆者:飯山陽(いいやま・あかり、イスラム研究者)
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