神奈川県横須賀市の特別養護老人ホーム「さくらの里山科」。ここで暮らす雑種犬の文福(オス、推定10~11歳)は、入居者の最期に寄り添う不思議な「力」を持っている。新型コロナウイルスの影響で、家族との面会も制限されるなか、「看取(みと)り犬」文福をはじめペットたちが、高齢者や介護職員の大きな支えになっている。
殺処分の直前に
さくらの里山科の2階フロア(計40室)は、犬か猫と暮らすことができる。ペットと一緒に入居する人や、自分で飼ってはいなくても、犬や猫と暮らしたい人だけのフロアだ。4ユニットに分かれており、現在は、2つに計10匹の犬、もう2つに計9匹の猫がいる。多くは飼い主とともに来たペットで、一部は動物愛護団体を通じて引き取られた保護犬や保護猫だという。
文福は殺処分直前に引き取られた保護犬だった。ホームに来たのは平成24年4月。開所時からの「古株」だ。「最近、腰の神経痛で歩けなくなった時期があったんです。年相応というか、人間と同じですね」。元気になって近隣を散歩する文福のリードを引く若山三千彦施設長(55)はそう言って目を細めた。
ケアをサポート
そんな文福の不思議な行動に職員が気づいたのは、ホームに来て2年目のことだった。2階のユニット長、出田恵子さん(50)はある日、1つの居室の前で文福がうなだれて座っているのに気づいた。翌日になると、職員の後ろから居室に入っていき、入居者が横たわるベッドの脇へ。そしていよいよ最期を迎える際は、ベッドに上がって別れを惜しむように顔をなめ、職員が声をかけても離れようとしなかった。ユニットで暮らす高齢者が最期を迎えるたび、文福は同じ行動を繰り返した。
「私の考えですが、おそらくはにおいで、入居者さんの最期が近いことが分かるのではないでしょうか。だから他の犬にも分かるはずですが、寄り添うのは文福だけ。文福の性格というか、意思なのでしょう」と若山施設長は言う。
文福の「看取り活動」は終末期のケアをサポートしている。ユニットで暮らしていた80代後半の鈴木吉弘さん(仮名)は、そのときすでに医師から「余命1週間」と告げられ、意識もなかった。かつてはホームから近い佐島漁港を拠点とする漁師。うわ言で「佐島」とつぶやいていたという。
出田さんは、そんな鈴木さんを最後に佐島漁港に連れていきたいと提案。「鈴木さんらしい最期をかなえたい」との思いからだった。だがスタッフ会議では、体に負担をかける外出に慎重な声が上がる。出田さんは思い切って言った。
「文福の『看取り活動』が始まっていなかったら出かける、というのはどうかな」
すると文福を見守ってきた職員たちは賛同し、鈴木さんは娘さんや出田さん、看護師のサポートのもと、思い出の詰まった佐島漁港を訪れた。心配された体調は安定し、血中酸素濃度はむしろ上昇。鈴木さんは漁港を訪れて6日後、文福の「看取り」を受け、家族に囲まれて穏やかに旅立った。こうしたエピソードを若山施設長が書籍にまとめ、今年「看取り犬・文福 人の命に寄り添う奇跡のペット物語」(宝島社)として再刊された。
コロナ禍でも…
新型コロナウイルスの影響により、入居者への面会や外出が制限されるなか、文福たちの世話をする外部ボランティアの訪問も中止された。だが、こうした状況下だからこそ、ペットたちの存在は大きい。
「ここ数カ月でも、2階は比較的活気があって、メリハリのある生活を送れた方が多かった。厳しい勤務が続いたスタッフも癒やされた。彼らの力を改めて感じました」と若山施設長。
文福が起こす“小さな奇跡”は、こうした時代だからこそ入居者と職員の希望になっている。