地球温暖化による負の影響が最も強調されている動物は北極圏に暮らすホッキョクグマ(白熊)だろう。北極の氷は厚くても5メートル前後。それが海に浮かんでいるだけだ。そして、その面積は近年、縮小傾向を見せている。
ホッキョクグマは、狩りの足場にする氷が減るとアザラシなどを捕らえにくくなり、飢えに苦しむといわれている。ドキュメンタリー映画「不都合な真実」(2006年)にも流氷の破片にすがりつく描写があった。こうした流れで、ホッキョクグマは二酸化炭素排出削減のキャンペーンアニマルになったのだ。
だが、広まっている危機説の一方で、ホッキョクグマたちは一向に困っていないとする研究者の声もある。生息地の本場では個体数の動向をめぐって白熱の論争が戦わされている。
世紀末の絶滅説
7月20日の科学誌「ネイチャー・クライメート・チェンジ」には、カナダのトロント大学の研究チームによるホッキョクグマの将来予測が発表された。
二酸化炭素の排出が多く、100年間で地球の平均気温が4度前後上昇するようだと「2100年の時点でホッキョクグマは、ほぼ絶滅する」という宣告である。
論拠は海氷の減少でホッキョクグマの絶食期間が長引くことにある。研究チームは幼獣や成獣の生存率が低下する絶食の限界日数を、脂肪消費の計算などから推定した。
その結果、ホッキョクグマの集団のいくつかでは、既に限界に達していることが判明したという。北極の王者の存続に赤信号がともったとするアラート論文なのだ。
20の理由で反論
その一方で、ホッキョクグマの減少に異論を唱える研究者たちもいる。減っていないどころか、個体数はむしろ増えているというのだから驚きだ。
カナダ・ビクトリア大学の元非常勤教授で動物学者のスーザン・クロックフォードさんはその一人。
彼女は昨年、15年間務めた職を大学側からの契約更新拒否で失った。二酸化炭素による気候変動問題に懐疑的な研究者と見なされたことが原因らしい。
クロックフォードさんは北極の海氷面積が縮小していてもホッキョクグマの捕食活動には影響がないと主張する。その理由は捕食シーズンに存在する。
ホッキョクグマは氷を足場にして子アザラシを捕食する。年間捕食量の3分の2以上が3~6月に集中しており、その時期の海氷面積の減少はわずかなものなのだ。氷の減少が問題になるのは毎年9月だが、この時期、ホッキョクグマはもともとほとんど食事をしないので、氷が大きく減っても関係ないという。
要は子アザラシが生まれる春の海氷の面積が、ホッキョクグマの生存にとって重要なのだ。春の面積は緩やかにしか減っていない。
だから、彼らが2100年までに絶滅することはあり得ないというわけだ。
クロックフォードさんは上記の論拠を含め、ホッキョクグマが無事に生き延びていける「20の理由」を掲げている。
過去10万年には今よりもさらに暑い気候の時代があったが、ホッキョクグマは絶滅していない、ということも危機論への反論だ。
ペンギンも増加
南極を代表するペンギンでも先ごろ、興味深い研究結果が発表された。
日本の国立極地研究所によるとアデリーペンギンは海氷が減ると親鳥の体重と、ヒナの成長速度や生存率が増すという。意外な気がしてしまうが、理由を聞くと、なるほどだ。
海氷が減るとペンギンたちは氷の上を歩かず、得意の泳ぎで移動できるので行動範囲が広がる。海中から浮上するのに氷の割れ目を探す苦労もない。
日光が海中に届きやすくなり植物プランクトンの大発生が起きるため、好物のオキアミも増えるのだ。食物は増えるし、それを得やすくなるのだから生存へプラスに働くわけである。4年がかりの野外研究で見えてきた南極の海氷とアデリーペンギンの関係だ。
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伝説のソロモン王の指環(ゆびわ)をはめ、昔話の聞き耳頭巾をかぶるとホッキョクグマやアデリーペンギンたちの会話が聞こえてくる。
「クロックフォードさんの主張や、同様の意見を持つ研究者の声は『地球温暖化の不都合な真実』(日本評論社)という本にも書かれているよ」
「温暖化の問題では、科学よりも経済や政治の影響力が上回っているのが気がかりだね」
キヤノングローバル戦略研究所研究主幹の杉山大志さんらがホッキョクグマの増加情報を発信しているが、この論争はもっと日本で知られるべきだろう。
筆者:長辻象平(産経新聞)
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2020年8月12日付産経新聞【ソロモンの頭巾】を転載しています