「大嘗祭」に献上される麻織物「麁服」が完成、宮内庁に持参するのを前に出発式
=2019年10月27日、徳島県美馬市(吉田智香撮影)
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日本書紀の天孫降臨神話に、天から下界に降りる神が「真床追衾(まとこおうふすま)」という掛け布団にくるまれていた、という趣旨の不思議な記述がある。かつて国文学者の故・折口信夫(しのぶ)は、天皇の即位に伴う大嘗祭(だいじょうさい)の神座に置かれる衾(布団)が「真床追衾」に由来し、新天皇に天皇霊をつけることに儀式の意義があったとの説を唱えた。そもそもなぜ儀式に「衾」が登場するのか。その疑問をユーラシア北方遊牧民の思想や伝統から解き明かし、折口説を補強する新説が昨年、発表された。謎に包まれた大嘗祭。その核心に迫る考察とは。
秘儀伝来のルーツ
折口は昭和3年、即位する天皇が衾にくるまって物忌みし、天皇としての威力の根源となる霊魂「天皇霊」を憑依(ひょうい)させることで神格を得る「秘儀」があるとし、これが大嘗祭の最も重要な意義であると主張した。
折口説はその洞察力の深さでもてはやされる一方、史料的裏付けが乏しく「虚妄の説」などと批判にさらされた。
「秘儀」については依然謎だが、日本とユーラシアの古典に精通する富山大学の山口博名誉教授(90)が、神話の真床追衾や大嘗祭の衾は、ユーラシア大陸北方遊牧民の衾類を用いた即位儀礼がルーツだと、昨年刊行した『ユーラシア文化の中の纒向(まきむく)・忌部(いんべ)・邪馬台国』(新典社)で論じた。
山口氏は「9世紀に編纂(へんさん)された『貞観(じょうがん)儀式』から始まる史料(儀式書)に、大嘗宮の神座に衾が設けられたことが記されている」と指摘。折口説の「秘儀」が実際に存在したと認め、日本では前方後円墳を最初に築いた集団が始めたとする新説を打ち出した。
文化回廊の東に
山口氏によると、中国北方の「鮮卑(せんぴ)族」や遊牧民の血を引く中国の周王朝などユーラシア北方の古代以来の諸民族に、フェルトなどの衾類を用いた新君主の即位儀礼が広く確認できる。そこでは、神が天から降りてくる神話の型も共通しているという。
「衾類を用いた即位儀礼と神降臨の思想を持つ文化の回廊がユーラシア北方に形成され、その東端に日本が位置付けられることを天孫降臨神話や大嘗祭は伝えている」と山口氏は指摘する。
考古学者で纒向学研究センター所長の寺沢薫氏は、纒向遺跡のホケノ山古墳(奈良県桜井市)▽萩原1号墳(徳島県鳴門市)▽黒田古墳(京都府南丹市)-の3基には、ひつぎを安置する部屋を木の板で囲んだ「木槨(もっかく)構造」があり、そこで首長霊継承の秘儀が行われたと想定。これらはいずれも初期の前方後円墳で、「折口が描く大嘗祭の実像は、実は前方後円墳の成立とともにあったのではないかと思う」と述べる。
墓制が一致
山口氏の調査によると、ホケノ山古墳や萩原1号墳の埋葬施設の特徴(積石塚・木槨・くりぬき式木棺)がすべてそろう古墳が、北方ユーラシアに数カ所確認できるという。
遊牧民スキタイの王墓で紀元前4世紀のパジリク古墳(旧ソ連のアルタイ共和国)や、漢民族を脅かした遊牧騎馬民族の匈奴(きょうど)の王墓とされるノヨン・オール古墳(モンゴル)などで、どれも日本に木槨や前方後円墳が出現する2~3世紀より古い。
これら古墳の木槨内では、天上の神の世界を語る鳥装のシャーマンが、衾類を用いた秘儀を行っていたとも山口氏はみる。天日鷲神(あめのひわしのかみ)など鳥名を持つ神がルーツとされる古代氏族・忌部氏がそのシャーマニズムの系譜に連なり、前方後円墳の生みの親になったというのだ。
忌部氏の本拠地は最古の前方後円墳ともいわれる萩原1号墳がある阿波(徳島県)とされ、『延喜式』は阿波国の忌部氏が織る麻織物「麁服(あらたえ)」が大嘗宮の神座に運ばれたことを記す。
麁服は令和元年の大嘗祭でも、古式通りに阿波忌部氏直系の三木家が大嘗宮に調進した。山口氏は「(『真床追衾』の)真床とは神座のことで、忌部氏が織る麁服がそれを覆う衾であった」と、神話と秘儀の謎を雄大に読み解く。
戦後に廃止か
戦後最初の大嘗祭が挙行された平成2年、宮内庁は「神座は神がお休みになる場所で、寝具類はなく、陛下がそこに入ることはない」と現代の大嘗祭については、その神性を否定している。
山口氏は「政教分離や人間天皇宣言の精神に基づく現憲法にはそぐわないので、戦後に寝座を廃したのではないか」と推察している。
筆者:川西健士郎(産経新聞)