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11月28日に死去した歌舞伎俳優の中村吉右衛門さんは生涯、母方の祖父で養父だった名優、初代吉右衛門(1886~1954年)の芸を継承することに一生をささげた。
10歳のとき、初代が他界。初代のつくり上げた役を勉強するため、自ら古典歌舞伎研究公演「木の芽会」を立ち上げ、のちに当たり役となる「一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)」の大蔵卿などの大役を、初代から直接教わった先輩たちから学び、時代物役者と呼ばれる道を切り開いた。
初代を師と仰ぎ、初代の当たり役を演じるときは、「初代には及びませんが」というのが口癖だった。歌舞伎俳優としての評価が高まっても、「ますます初代の素晴らしさが分かった」と常に芸の高みを目指した。
平成18年、東京・歌舞伎座で初代の俳名を冠した「秀山祭(しゅうざんさい)」で初代の当たり役を中心に上演。以降、毎年9月の恒例興行となった。おいの松本幸四郎さんや尾上菊之助さんのほか、播磨屋一門の中村歌昇(かしょう)、種之助さん兄弟ら若手と共演し、播磨屋の芸の継承にも熱心に取り組んだ。
平成25年に四女が歌舞伎界のホープ、尾上菊之助さんと結婚し、孫も誕生。孫の丑之助(うしのすけ)さんの初舞台では共演。丑之助さんがポーズを決めるたびに、舞台後方からにこにこと相好を崩しながら見守っていた。
若い頃は声量に乏しかったが、清元の稽古など長年の努力でこれを克服した。また身長が178センチと、歌舞伎俳優の中では上背があるため若い頃は苦労したが、逆に「勧進帳」の武蔵坊弁慶などは長身を生かした豪快な演技が映えた。
池波正太郎原作の時代小説を実写化し、平成元年からフジテレビ系で放送されたシリーズ「鬼平犯科帳」では、長谷川平蔵(鬼平)役で主演した。お茶の間にも、吉右衛門さんの顔が浸透した。
人物像を掘り下げた細やかな心理描写や作品解釈には定評があり、上演のたびに歌舞伎通をうならせた。特に当たり役の「平家女護島(へいけにょごのしま) 俊寛」は繰り返し演じた。自身が「一番好きな役」として挙げていたほどで、再演ごとに心理描写を深めていった。
令和2年、東京・国立劇場の11月歌舞伎公演でも俊寛を再演。平家打倒計画の科で流刑になり、絶海の孤島に一人残って赦免船を見送る幕切れでは、達観したように穏やかな表情を見せ、より一層会場に余韻を残した。
このほかの当たり役に「勧進帳」の武蔵坊弁慶などがあるが、歌舞伎の舞台だけでなく、NHK時代劇「武蔵坊弁慶」でも主役を演じた。
最近は、「勧進帳」の弁慶役を80歳でも演じることを目標にしていた。「弁慶役ほどつらい役はないが、やり終えて達成感のある役もない。数え年の77歳となる喜寿で一度やり、また80歳でできたら」と意欲を示していた。
筆者:水沼啓子(産経新聞)