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中国国家主席の習近平は昨年12月22日、北京で香港政府トップの行政長官、林鄭月娥(りんてい・げつが)と会談した。彼女から昨年1年間の定例報告を受けるこの場で、習の表情はいつになく険しかった。
ただ、会談の模様を伝えるニュース映像には、習が一瞬だけ、ニヤリとした場面がある。林鄭を見ながらこう評価したときだ。
「(香港の)社会は、安定を保った-」
2020年6月30日の香港国家安全維持法(国安法)の施行後、反政府・反中デモは沈静化した。逮捕者は1万人を超え、4分の1以上が起訴されている。
デモが続いていた19年11月、中学校(中学・高校に相当)教諭だった男性(32)は、生徒が警察に拘束されたとの連絡を受けて香港理工大に向かった。
警察と学生が激しく衝突した同大でデモに参加していた生徒は、警官に名前、住所、身分証の番号を聴取されてから解放された。
生徒は現在19歳で私立大に通う。教諭によれば、当時のデモ参加者が暴動罪などで起訴されるたびに、「『いつ自分の番が来るのか』とおびえながら暮らしている」という。
この生徒のように、逮捕・起訴されなくても、警察に身分証番号などの記録が残るデモ参加者は数えきれない。彼ら彼女たちを黙らせる効果は絶大だ。
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「塀の中では、ロボットのようになるしかなかった。夜具のたたみ方が悪いと、罰として一日中たたみ続けないといけないんだ」
黄嘉俊(仮名、25歳)は襲撃罪で禁錮6月の判決を受けて服役。昨年出所した。親中派の市民を負傷させたが、後悔はしていない。
「収監されてからしばらくの間、『出所してもデモを続けてやる』と考えていた。でもあの日、敗北したということを痛感した」
「あの日」とは、民主派系の大手紙だった蘋果(ひんか)日報が休刊に追い込まれ、最後の新聞を発行した昨年6月24日のことだ。子供の時から愛読していた新聞が消滅したことに衝撃を受けた。
収監前は、金融コンサルタントの仕事をしていた。しかしこの業界は親政府・親中派で占められている。実刑判決を受けて服役したことが知れわたってしまった黄が再就職できるはずもなかった。失業中だ。
大学も様変わりした。民主化運動の拠点だった香港中文大構内には、監視カメラが立ち並ぶ。昨年12月24日には「民主の女神像」も撤去されるなど、大学当局の管理が強まる一方だ。
民主化を求めるチラシが山積みになっていた学生食堂前には今、鬱(うつ)病など精神疾患をケアする団体の冊子がたくさん置かれていた。
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「(デモ収束後の)2020年の就職活動は大変厳しかったと聞いています」
取材に応じた香港中文大4年の男子学生(21)は語る。「では、4年生はこれから大変だね」と水を向けると、彼は笑った。
「そうでもないんです。驚いたことに、21年の就活状況は良くなったそうです。理由は分かりませんが、『海外への移住者が急増したため、各社とも人手不足なんだろう』と学生の間で話題になりました」
香港の企業で働く日本人もいう。「上司が海外に移住したためポストが空き、昇進・昇給を果たしたハッピーな香港人もいる。みんながみんな将来を悲観しているわけではない」
19年秋、爆弾製造を支援したとして逮捕された後、禁錮2年の判決を受け、昨年出所した若者がいる。
馬浩然(仮名、19歳)。現在復学し、中学5(高校2)年生だ。刑務所では朝6時半に起床してから夜10時の消灯まで、いろいろなことを考えたという。
彼もまた、自らがしたことに後悔の念は抱いていない。でも、「行動を起こすべき時ではない」と政治的な活動を控えている。
逮捕前は、卒業してからについて考えたことなどなかった。しかし今は、起業することが目標だ。
「やらなければならないのは、お金を儲(もう)けること、勉強すること、体を鍛えること、つまり、自分を成長させることです」
現在、暗号資産(仮想通貨)に投資している。クラスメートとは共通の話題がない。 =敬称略
筆者:藤本欣也(産経新聞)
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2022年1月15日付産経新聞【香港改造】(全5回)を転載しています