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今年は中華人民共和国との国交成立から50年の節目だが、中国から贈られたパンダ2頭の上野動物園(東京都台東区)来園50年ともなり、新聞各紙には関連記事が見られた。礼賛一方の記事がほとんどだが、珍しく中国の「パンダ外交」を危惧する意見もあった。
10月12日付朝日新聞「耕論」欄の「日中とパンダの半世紀」で、歴史学者の家永真幸氏は、「世界的に見ても、日本ほどパンダが好きな国はないと思いますが、中国はそんな日本人のパンダ好きを巧妙に使ってきたともいえる」「パンダを誘致したいがために、日本人が中国政府の嫌う話題を避けるようになってしまうと、たとえば人権問題など、真剣に議論すべき問題の解決は遠のいてしまうでしょう」と指摘している。
家永氏は人権問題に言及しているが、しかしそこにパンダに関する、はるかに深刻で、根本的に重要な事実の説明は見られない。それはパンダが、中国によるチベット侵略の象徴であるという厳然たる事実である。
パンダは主に四川省の西部に生息している。同省の西半分は平均海抜約4千メートルのチベット高原の一部であり、ミニヤコンカという標高7556メートルの高山があることでも知られ、その名前はチベット語である。チベット高原は、チベット自治区、青海省の全域、甘粛省と雲南省の一部も含む一大高原地帯で、これが本来のチベットの領域であった。現在のチベット自治区だけが、チベットではない。パンダはこのチベット高原の、東の端あたりに生息している。中国のパンダ研究の中心は、臥竜というところで、四川省アバ・チベット族チャン族自治州にある。
チベットは歴史の古い国で、7世紀にはすでに存在していて、唐の時代に隆盛となり、唐の首都・長安に攻め込んだこともある。以後も独立国として存在し、モンゴル人の元の時と、満州人の清の時に、その帝国に含まれたが、宗教や習慣についてほとんど干渉されず、ゆるやかな支配を受けたに過ぎない。
元と清の間の明の時代には、完全に独立していたことは、世界史の地図帳や高校の世界史教科書を見ればすぐに分かる。要するに中華人民共和国の成立以前にチベット高原が漢民族の本格的な支配を受けたことは一度もないのである。
日本人は、愛らしいパンダに目を引かれ、チベット侵略の真実に、目を閉ざされているのである。
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筆者:酒井信彦(元東京大学史料編纂所教授)
昭和18年、川崎市生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。東京大学史料編纂所で、『大日本史料』の編纂に従事。
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2022年11月20日付産経新聞【新聞に喝!】を転載しています