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猛暑の夏も過ぎて秋も深まってきたこの頃、近くの野原に行くと多くの種類の蝶が活発に飛び回っているのが見られる。冬を前にして、花から花へ飛び回って吸蜜し、パートナーを見つける繁殖活動に余念がない。
今年もまた、そんなチョウを、早春から晩秋まで8か月ほどの間、日本全国80か所以上で、毎週(あるいはそれに近い頻度で)、数えて記録するというモニタリング調査活動をしている100人ほどのボランティアがいる。
彼らは、都市部の人も郊外や地方に住んでいる人も、あらかじめ設定した調査地区の中を、毎回同じコースを歩いて、その間に見つかるチョウの種類と個体数を記録するのである。調査地は、公園であったり、毎日の散歩や通勤、通学、あるいはスーパーへの買い物のときに通る道だったり、中には自然が豊かな場所などもあるが、毎週のことだから、自宅や職場の近くなど、調査がしやすいところに設定されている。
この多様な、決められたコースを、蝶が活発になる、晴れて暖かく(真夏は暑すぎないで)、風も強くない午前中から昼過ぎにかけて歩くのである。1キロから2キロぐらいの距離の調査区域を1~2時間かけて歩き、その間に見つかった蝶の種類と個体数を調査票に記録する。
草原や雑木林があったりすれば、1回の調査で20-30種の、個体数で100頭を超える数のチョウが見つかるし、1年(8か月ほど)を通してみたら、50種類ぐらいにのぼる。都心の、短い1時間ぐらいの調査コースでは、10種ぐらいにしかならない。見つかる種類も個体数も、調査する場所によってさまざまである。
この調査は、「チョウのモニタリング調査」または「トランセクト*調査」と呼ばれ、現在ヨーロッパの23か国で行われているものの日本版である。もともとは、チョウの保全活動先進国である英国の「チョウ類保全協会」(Butterfly Conservation)が1976年に始めたもの。2014年に、ヨーロッパ・チョウ類保全協会(Butterfly Conservation Europe)が英国と合同でヨーロッパ・チョウ類モニタリング・スキーム(European Butterfly Monitoring Scheme=eBMS)として欧州全体に拡大され、英国の1,500か所を含む4,000か所でモニタリング調査が行われている。
(*トランセクトとは科学的な調査を行うための一定の比較的小さな区域のこと)
日本では昨年、認定NPO法人日本チョウ類保全協会(JBCS)が、全国約40か所で立ち上げ、2年目の今年は調査地も80か所と2倍に拡大された。ボランティアのほとんどはチョウに詳しいあるいはチョウが大好きなJBCSの会員だが、チョウのことはよく知らなくても環境問題に関心のある若者や引退した自然愛好家の高齢者など、一般市民の参加も増えている。
東京目黒区にある林試の森公園で調査に参加しているJBCSの会員、清水郁子さんは、モニタリング調査に参加することで、チョウの保全に貢献できると同時にこのプロジェクトに参加している他のボランティアたちとオンラインやeBMSでつながることができることが喜びだと言う。チョウだけでなく、他の昆虫や植物、小鳥にも興味があるので、毎回調査を通して見つけるチョウや花などがちがうのを見て、その都度微妙な季節の変化にもいち早く気づくことができて楽しいのだそうだ。
このようなボランテイアが集めたデータによって、チョウの個体数や種類(多様性)の変化を知ることができ、チョウの保全に利用できるだけでなく、長年集積することで、環境の変化や生物多様性の状態を知ることに役立ち、その保全に活用できる。
日本で集められたデータは、ボランティア一人ひとりがeBMSのウエブサイトに打ち込み、日本やヨーロッパのボランティア、各国のBMSのマネージャーたちが共有することができる。昨年まで英語などヨーロッパの21言語で運用されていたeBMSのデータベースに、今年から日本語でもチョウの名前が表示されるようになったので、日本のボランティアは集めたデータをインプットするのが容易になって、さらに協力が進むと期待されている。
このプロジェクトを日本で文字通り先頭に立って引っ張っているのが、チョウ類保全協会の事務局長で創設者の中村康弘氏だ。東京農工大学を卒業後、さらに大阪府立大学農学部大学院に進んでチョウの保全を研究した。神奈川県の秦野出身で、小学生の時から、チョウの愛好家であった父親からチョウのすばらしさを教えられた。
2000年9月、28歳の時にチョウだけでなく広く自然保護活動で最も進んだ英国に渡り翌年3月までの半年間、英国チョウ類保全協会や関連のNGOなどの活動に集中的に参加して英国の保全活動のノウハウを習得して帰国。すぐに日本でチョウの保全活動を立ち上げ、2004年にJBCSの前身、「チョウ類保全ネットワーク」を設立。2年後、現在の保全協会に。中村氏は、英国で見てきたチョウのモニタリング調査をすぐにも始めたかったが、もっと緊急な対応を迫られている絶滅危惧種の保全活動を優先することになったのだと言う。JBCSでは、現在そのような絶滅危惧種の保全のため20以上のプロジェクトを全国で、現地の保全団体や地方自治体との協力で、あるいは単独で、進めている。
日本のチョウ・モニタリング・スキーム(BMS)の重要な点は、単に全国規模の日本の調査であることだけでなく、ヨーロッパ全域で行われているeBMCと連携した国際的なプロジェクトだということだと、中村氏は最近のインタビューで語った。
「日本でのBMSは、eBMSと同じ単純な方式で行われ、従って、集められたデータは統一したグローバルスタンダードのものであり、これ等のデータは、ヨーロッパのモニタリング調査で得られたデータと統合されて、世界のチョウの研究や保全活動のために共有されるということだ。」
中村氏によると、日本とヨーロッパのチョウ類相が似ているため共通することが多く、双方が抱えているチョウの絶滅の問題、保全の課題、対策としてしていることなどに共通することが多く、日本と英国、ヨーロッパと協力することで、これらの課題の解決に役立つのだという。ちなみに、日本には約250種のチョウが生息しているのに対してヨーロッパには約400種。英国では70種と少ないが、そのうち20種が日本と共通するという。
チョウは、環境の変化に敏感で、変化が現れるまでに時差がある鳥や植物よりも早く変化が現れるので、自然環境の変化、生物多様性の状態を評価する指標としてすぐれているのだ。従って、チョウの個体数や種類を一定期間継続して調査すること(モニタリング)によって、自然環境の変化をより早く知ることができる、と中村氏は説明する。さらにチョウが調査対象としていいことは、鳥などより見つけやすく、チョウの専門家でなくてもこのプロジェクトに参加しやすいことだという。
日本では、他の国と同様に、チョウの個体数は全体として、そして特に多くの希少種が急速に減少している。JBCSによると、日本にいる約240種のうち5分の1が絶滅に向かっている。希少種だけでなく、普通に見られる種類のチョウも急速に減少しているという環境省の報告もある。例外もある。例えば、ツマグロヒョウモンという雌が美しい中型のチョウは、食草になるスミレ科のパンジーが広く植えられるようになったこともあり、温暖化の影響と相まって、関東地方で家の庭にでもどこにでも見られるようになった。ナガサキアゲハという、大きな黒いアゲハチョウの種類は、名前の通りもともと日本の温暖地域にだけ見られたチョウだが、これも地球温暖化のお陰で、東京では普通によく見られる。それでも、チョウがすごいスピードで減っていることには違いないのである。
チョウの減少には多くの要素があげられる。温暖化と異常気象、あらゆる開発、採草地の放棄、樹林の伐採や草原環境の変化、かつての里山の雑木林利用の放棄、農業の変化と農薬の影響など、そして日本の特殊な要因として、鹿の食害によるチョウの食草への壊滅的被害などなど。これらすべてがチョウの生息地に影響を与え、彼らの生存をますます困難にしているのである。
だから、集められるデータは希少種だけでなく、普通種のデータが重要になる。このトランセクト調査で集められるデータは、どの希少種のチョウが減少しているかだけでなく、どのような普通種のチョウが減少しているかがわかることで、彼らの生息地の環境の変化について、そして、生物多様性の悪化について警告してくれる。1970年代から英国で集積されてきたモニタリング調査のデータはヨーロッパでのネオニコチノイド殺虫剤の禁止につながったと言われている。ネオニコチノイド系殺虫剤は、昆虫類や生態系全体への悪影響が大きいことが明らかになっている。身近なところにいる普通種のチョウでも、その種類が多くなくても、その個体数や種類の変化を、コンスタントに長期にわたってモニターすることに意味があるのだと、中村氏は強調する。
環境省は、「モニタリングサイト1000」というトランセクト調査をすでに2003年から国内の里山で、チョウだけでなく他の昆虫や動物、植物について行っているが、これは、調査地が約60カ所しかなく、チョウに関するデータとしては不十分であると中村氏は指摘する。だから、その欠点を補って意味のあるデータを集めるためにJBCSのモニタリング調査は重要なのだと言う。
今後の課題として、中村氏は、日本のデータの信頼性をさらに高めるために、モニタリング調査地区を最終的には英国と同じレベルの1,000カ所以上に増やしたいと考えている。その目標に向かって、ほとんど毎日のように、全国を飛び回り、ボランティアを大幅に増やすために説明会をしたり、新入りのボランティアのための研修会をしたり、その合間にチョウ類保全の会議やセミナーにも出てチョウの保全、生物多様性の保全の重要性について語るという忙しさである。それと並行して、特定の種の保全活動に、チョウの食草を植えたり、草原の草刈りをしたりして危惧種のチョウの生息地の回復に出かける。休む暇もない。
JBCSの会員も、いまの約750人から、英国並みに数千人まで大幅に増やして、英国の保全協会が各州に支部を置いて活動しているように、日本各地に、理想的には各都道府県に、支部を開設できるようにしたいと、中村氏の理想は高い。
そして、中村氏の目は国内やヨーロッパにとどまらない。チョウの保全活動はこれら両地域以外では、世界でまだまだ広がっていないのだそうだ。アジアの国々でも趣味としてチョウの写真を撮ったり、標本を集めたり、チョウへの人々の関心は高まっているが、保全活動にまではなかなか進まない。中村氏によると、NPOでチョウの保全活動を本格的にできる国は世界でまだ10か国もない。だから、その一国である日本は、アジアの国々とチョウの保全活動で協力して、世界でモニタリング調査ができるようになればよい、と中村氏は言う。
「いま我々が行動しなければ、もう手遅れになる」と中村氏は警告する。彼に休んでいる暇はない。
筆者:石塚嘉一