親愛なる安倍総理へ、沖縄からの提案
私は先日、沖縄全戦没者追悼式に出席する光栄に恵まれた。沖縄県内では、6月23日は慰霊の日と呼んでいるが、今から74年前の沖縄戦での組織的戦闘が終結した日と位置付けている。
式典は、糸満市摩文仁の丘にある平和祈念公園で行われ、1995年に建設された平和の礎石の側で行われた。
戦争の歴史を克服
刻銘板には私の親戚の名が記されている。かつて私はこの公園を数え切れないほど訪れ、彼の魂、そして日米両国でこの戦いにおいて失われた多くの命に追悼の意を捧げた。(私の父も参戦していた1人だが、私が今こうして存在することからお分かりのように、生き延びることができ、無事にアメリカへ戻れた。)
しかし、今回私は、沖縄の戦いで家族を亡くした沖縄の友人たちと共に時間を過ごすことをとりわけ意識して参列した。そうした時間の中で、沖縄県をはじめ日本とアメリカとの関係性がどれほど深まり、今後さらにどのように進展していくべきかについて思いを馳せた。
近年、両国は歴史的な隔たりの克服において目覚ましい進歩を遂げている。大統領としての任期最後の年に、バラク・オバマ氏は安倍晋三総理と広島を訪れ、そこで原爆の犠牲者との感動的な抱擁が行われた。さらに、その同じ年の後半に、安倍総理はオバマ氏と共に真珠湾を訪れ、75周年を迎えた追悼式にて12月7日の攻撃の遺族らと面会した。総理大臣が真珠湾を訪れるのは初めてのことではない(例えば、1951年に吉田茂首相がサンフランシスコ講和会議後の帰国の帰途、訪問している)が、公式行事としては初めてのことだ。
兵士の遺骨収集に熱心な日本
2016年12月に安倍総理がハワイを訪れた際、総理がヒッカム空軍基地の近くに位置し、各戦争で行方不明となったアメリカ人兵士の捜索および身元特定を担うDPAA(国防総省捕虜・行方不明者調査局)を訪れたという事実は、残念ながらあまり知られていない。
重要なことは、DPAAは、同盟国やかつての敵国が、それぞれの国の行方不明者の捜索および身元特定にあたる場合の、教育的、技術的および財政的支援を相互に提供する取り組みを推進している。
安倍総理や総理補佐官の衛藤晟一参議院議員は、第二次世界大戦で行方不明となった日本人兵士の遺骨収集に大変強い情熱を持っている。また、DNA分析や安定同位体分析技術等の向上で兵士の身元を特定する日本の技術力の育成に高い関心を示している。こうして、(2015年初めまで)太平洋軍統合戦時捕虜・行方不明者調査司令部(JPAC)として知られていたDPAAへの安倍総理の訪問が実現したのだ。
安倍総理が史上初めて政府の長としてDPAAを訪れたことは、この問題に対する大きな関心の表れだ。実は、アメリカ大統領ですら、DPAAを訪問した記録がない。
犠牲を乗り越え共に歩む
DPAAのウェブサイトによれば、過去の戦争により行方不明となったアメリカ人兵士のうち、82,000名以上が未だ行方不明であり、うち75%がインド太平洋地域で失われた。特に第二次世界大戦、朝鮮戦争およびベトナム戦争に関わった人々だ。ここで重要なのは、行方不明者のうち41,000名以上が、船舶の損傷または沈没、あるいは航空機の喪失により海上で命を落としたものと推定されている点だ。
これに対し、日本では推定で約112万名の兵士が行方不明となっている。この数字には、遺骨が発見されたものの、技術的およびその他の制約により身元特定を行うことができなかった兵士は含まれていない。身元不明の日本人兵士と船員の遺骨は国立の千鳥ヶ淵墓苑に埋葬されている。
アメリカと日本は亡くなった兵士の遺骨の身元特定のために互いに協力して取り組んでいる。なぜなら多くの場合、両国の兵士は、激しい戦いが繰り広げられた同じ戦場で命を落としているからだ。
2018年7月に千鳥ヶ淵墓苑を訪れた際、DPAAのケリー・マッキーグ長官は次のように述べている。「かつての敵国が友情を示す最善の方法は、相互に助け合いながら亡くなった兵士の遺骨を収集して身元を特定し、母国の遺族のもとに返還することだ。第二次世界大戦から75年の歳月が経とうとしている今、遺骨の捜索活動において両国が協力することで、アメリカと日本との間における友情がどれほど進展したかを示す機会がもたらされている。」
75周年には海上慰霊式を
こうした信念のもと、これまで見過ごされてきた機会である、沖縄戦で亡くなった人々を追悼するための海上慰霊式を提案したいと思う。
アメリカ側では、亡くなった12,500名のうち約5,000名が海軍軍人であり、その多くが海や航空機の喪失により海上で命を落とした。アメリカ海兵隊員および陸軍(陸軍航空隊を含む)の兵士もまた、海上で亡くなっている。
日本側の正確な人数は不明だが、専門家の推定によれば、船舶の沈没や航空機の喪失により亡くなった大日本帝国海軍や陸軍の兵士ならびに、商船や避難船またはその他の船舶に乗船していた民間人を含め、沖縄戦(あるいはそれに至るまで)海上で亡くなった人は数万人に上るものと推定されている。
第二次世界大戦中、両国は海上、空中および陸上で激しい戦いを繰り広げたにもかかわらず、戦後においては強力な同盟関係を築き上げてきた。その重要な要因の1つは、アメリカ海軍と(幾度かの改組を経て現在の海上自衛隊となった)大日本帝国海軍との緊密な関係性にあったと言われている。
こうした関係性の発展は、アメリカの退役海軍将校であり、日本の専門家として本紙にもよく論評を寄せるジェームズ・アワー博士および、かつて在米国日本国大使館広報文化センター所長兼公使を務めた阿川直之教授といった著者の記録により裏打ちされている。阿川氏はこれを、「海の友情」と表現している。
私は、それぞれ独自の方法で日米関係発展のために尽力してきた両氏が、この合同慰霊式を心から支持してくださるものと確信している。
重要なのは、海上で合同慰霊式を執り行うという発想をもたらした人物が、沖縄県出身の方という点だ。彼は、この戦闘において日本が沖縄のためにどれほどの犠牲を払ったか(例えば、不利な状況をものともせず、沖縄を守るために日本各地から兵士が動員された)、そしてその後に、両国がどのような進展を遂げてきたかを認識している。さらには、米軍が今日も沖縄に駐留していなければ、日本の未来は暗いということも彼は理解している。
来年は招待者枠の拡大を
加えて、沖縄戦の際、海上で兵士を失ったイギリスおよびその他の英連邦諸国(いわゆるタスク・フォース57)をこの慰霊式に招待することも提案したい。日本が安全保障協力の幅を広げていることに鑑み(例として、日本の自衛隊はイギリス軍およびオーストラリア軍との間で物品役務相互提供協定を締結している)、沖縄戦の海上で亡くなった全ての海軍および陸軍関係者、商船および民間人の犠牲者を追悼することで、関係諸国による「新(心)同盟」を築き上げることになる。また、国籍を問わず軍人同士、軍人と民間、民間同士は、互いに、そして互いの国の歴史・文化・伝統をリスペクトすることは、真の平和にも繋がる。
日米の両政府が、未来に向けての関係性をさらに強化する一歩として、沖縄の戦いから75周年を迎える来年、「海上で合同慰霊式を行う」という沖縄県の知人による呼びかけに応じてくれるものと願っている。
著者: ロバート・D・エルドリッヂ(政治学者、元在沖縄米軍海兵隊外交政策部次長)
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