新型コロナウイルスの感染拡大で外食業界は大きな打撃を受けています。「日本一予約が取れないレストラン」として知られるイタリア料理店「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ」(東京都中央区)のオーナーシェフ、落合務さん(72)も売り上げ減に見舞われていますが、臨時休業中は「誰かの役に立ちたい」と医療従事者に弁当を無料で支給する活動に参加しました。落合さんは「皆で知恵を出し合い、あきらめずに今まで以上の状態にするよう努力したい」と語っています。
10月1日からは政府の観光支援事業「Go To トラベル」に東京発着が追加される方向で明るい兆しは見えてきました。ただ、都内では感染が再拡大したこともあり、今はまだ、「みんなでごはんを食べに行こうぜ!」という雰囲気にはなっていません。僕の店もテーブルの間隔を空け、席の間に間仕切りを立てて営業しているのでコロナ前に比べて6割程度の客数しか入れません。
緊急事態宣言の発令に伴い4月から約2カ月間、臨時休業しました。その間、服部学園の服部幸應理事長やフランス料理店「オテル・ドゥ・ミクニ」のオーナーシェフ、三国清三さんら料理人仲間とともに、東京都内の医療機関に特製弁当を無料で届ける活動に参加しました。それぞれ得意分野を生かした内容で、僕はメインに大好きな生姜焼きを作りました。食べても食べても肉が出てくるっていうぐらい詰め込んで、イタリア風卵焼きやミートボールなども入れました。店で焼いたパンも添えてね。
店のスタッフ総出で手伝ってくれた。患者を受け入れる医療機関が大変だということは聞いていましたから何かをしたかったんです。弁当を作っているとき、上空で大きな音がしたので外に出ると、航空自衛隊の「ブルーインパルス」6機が医療従事者に謝意を示すためにアクロバット飛行を行っていました。感動しましたね。「甘いものがほしい」という医療機関のため、大きなプリンを200個焼いて自分の車で運んだこともありました。
5月上旬には僕が名誉会長を務める日本イタリア料理協会など飲食店業界団体で、新型コロナの影響による倒産防止のための要望書を当時、官房長官だった菅義偉首相や麻生太郎副総理兼財務相、岸田文雄前政調会長に直接、お会いして渡しました。
事業者への給付金や緊急融資、家賃補助など政府も次々と手を打ってくれてはいました。でも、スピード感が足りなかったし、給付まで時間がかかりすぎたんです。われわれの陳情で実態を知らせることができたと思いました。
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コロナの収束は簡単には見通せませんが、そうした中だからこそ、外食というのは特別な楽しみの一つだと思います。何を食べるのかはもちろん大事ですが、どこで、誰と食べるのかも重要。結婚とか入学とか何かの記念日に利用していただけたらうれしい。お客さまの笑顔が僕らのパワーにもなるんです。
イタリア料理協会の会長を10年も務めましたから6月に「リストランテ アルポルト」の片岡護(まもる)シェフに新会長に就任してもらいました。協会には約400人のイタリア料理のシェフと約120社の賛助会員が参加しています。8月末にはレシピや会員を紹介する動画チャンネルを「ユーチューブ」に開設しました。まだまだ厳しい状況ですが、少しでも若いシェフたちの役に立てればという気持ちです。
レシピを公開すると「店の味を紹介したら外食しなくなる」と批判的な人もいますが家庭で作るのと外食は別物です。ちょっとでもみんなの気持ちが柔らかくなるのなら最高じゃないですか。
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新型コロナが収束するまでのウィズコロナでは、僕たちも入店前の検温や消毒など感染防止対策を徹底して協力していかなければならない。だから、休業要請に従わない事業者に罰則を科す新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正は考えてみるべきです。約束を守らなければ誰かに迷惑がかかる。
僕が料理の修業を積んだイタリアでは影響が甚大だった。それでもイタリア人は「Andrà tutto bene(すべてうまくいくよ)」を合言葉に頑張っているそうです。僕自身も前向きに一生懸命やっていきたいです。
筆者:長嶋雅子(産経新聞)
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【プロフィル】落合務(おちあい・つとむ)
昭和22年、神奈川県鎌倉市生まれ。40年、17歳で料理の道へ。ホテルニューオータニでフランス料理を学び、赤坂の洋食レストラン「トップス」を経て53年、イタリアに渡り料理修業。帰国後の57年、東京・赤坂のイタリア料理店「グラナータ」の料理長就任。平成9年、東京・銀座に「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ」をオープン。21年、日本イタリア料理協会会長。25年に厚生労働省の「現代の名工」、令和元年にはイタリア料理の普及に努めたとして文化庁長官表彰。2年、黄綬褒章受章。同年6月、日本イタリア料理協会名誉会長。