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スポーツメーカーのミズノが野球の本場米国に進出するのは1978(昭和53)年の春からだ。坪田信義さんら数人が大型キャンピングカーに自社のグラブを積み込み、大リーグのキャンプを巡回した。
修理を頼まれると、快く引き受けた。坪田さんは、グラブを触っただけで選手の特徴をつかみ数分で直してしまう。「マジックハンド」は評判を呼び、ミズノ製グラブのファンも増えていった。
スポーツライターの松瀬学さんがそんなエピソードを聞き出していたとき、坪田さんは歌を口ずさんだ。「カム、カム、エヴリバディ~」。終戦直後にNHKラジオで始まった英会話番組のテーマソングである。米国人のスタッフに教えて、コミュニケーションを取っていた(『匠道(しょうどう)』)。先日大団円を迎えてた朝ドラのモチーフは、こんなところでも役に立っていた。
野球少年だった坪田さんは、15歳で入社するとグラブ作りを志望した。長い下積みを経て、40歳でようやく特注品作りを任される。プロ野球の選手一人一人の注文に耳を傾け、工夫を重ねていった。ポジション別のグラブを初めて世に送り出したことでも知られる。
平成20年の引退まで、坪田さんのグラブを愛用した選手は200人余りにのぼる。巨人V9時代の王貞治さんや元大リーガーの松井秀喜さん、イチローさんも含まれている。名人の称号をほしいままにした坪田さんが今月3日、89歳で亡くなった。
訃報のなかの肩書は元ミズノ野球グラブ職人だったが、本人は職人ではないと言い張った。自分を押し付けるのではなく、選手の要望に忠実に応える技術者だ、というのだ。一番苦心して作ったのはプロの選手用ではなく、指を失った少年のためのグラブだった。
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2022年4月6日付産経新聞【産経抄】を転載しています