日本はこれからどんな外国人政策をとるべきなのか―。国際協力NGO元会長の柳瀬房子氏が、移民をめぐる議論と、外国人の社会統合と支援の在り方を考察する。全7回。
Immigration Services Agency of Japan 001

出入国在留管理庁が入る庁舎=東京都千代田区

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日本は人口減少社会に突入した。日本には、定住を前提にした「移民」は法的には存在しないが、外国にルーツを持つ数多くの人々が働くことにで、日本社会は動いている。日本はこれからどんな外国人政策をとるべきなのか―。日本の難民支援の草分けとして半世紀近く活動し、外国人労働者や移民の問題に詳しい国際協力NGO元会長の柳瀬房子氏が、JAPAN Forwardに寄稿した。

以下、連載企画として紹介する。

戦前は移民の送り出し国

戦前・戦後としばらくの間、日本は外国人労働者の入国を原則として許可していなかった。逆に大量の移民を送り出す政策がとられてきていた。(人数枠の設定など、二国間の約束事などに基づき相当数を送り出していました)。いわゆる「日系移民」と呼ばれる人々のことである。

1980年代半ばから後半にかけて、ブラジルでは物価が急上昇するハイパーインフレーションが続いた。国民は長期不況と失業に苦しみ社会不安が増大していた。そのころ日本では景気が拡大しており(いわゆる「バブル経済」期と呼ばれる)、各企業が多くの労働者を求めていた。そこで、日系人が、祖国・日本との伝手を頼って来日したのである。

アジア諸国からの労働者

またパキスタンやバングラデシュ、さらにはイランなどの中東地域からも多くの人々が来日していた。1990年代前後には製造業や工事現場などの労働が日本語では「きつい・汚い・危険」(いわゆる「3K」)として特に日本の若者は就きたがらなかった。これらは決して専門性・熟練度を要しない仕事ではないのだが、職場環境や賃金条件で割が合わないということが理由であった。そのため、業種により深刻な労働力不足に見舞われていた。それを補ってくれたのが外国人労働者だったのである。外国人技能実習制度が設けられたのはこの頃からである。

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移民政策をとることは断じてない?

外国人労働者数は年々増加傾向にあるにもかかわらず、日本政府は今日まで再三にわたり「移民政策をとることは考えていない」「日本は移民国家ではない」と述べている。

これは日本の世論の動向や政治的な思惑による面もあると考えられるが、そもそも「移民」という言葉が独り歩きしていることにも原因がありそうだ。

入管難民法改正案が審議入りした参院本会議=2023年5月12日午前(共同)

例えば、国連(経済社会局)では、国際移民の正式な法的定義はないとしつつ、「多くの専門家は、移住の理由や法的地位に関係なく、定住国を変更した人々を国際移民とみなすことに同意している」としている。また「3か月から12か月間の移動を短期的または一時的移住、1年以上にわたる居住国の変更を長期的または恒久移住と呼んで区別するのが一般的である」と説明している。

移民政策なき日本?

では、日本は移民を受け入れず、移民政策をとっていないのであろうか。
すでに日本はさまざまな在留資格を設け、専門的な知識・技術あるいは熟練した技能を有する外国人を積極的に受け入れるようになってきている。

また、永住資格を得る方法も用意されている。例えば、真面目に仕事に励み、通算で10年間生活して公租公課の義務をきちんと果たすこと。また日本語学校や大学に入学した場合は、その限りにおいて、日本に在留できる期限は必然的に卒業・修了するまでと決められているが、その後これまでに培った日本語能力や学歴・職歴を活かして日本国内の企業・事業所に就職することもできる。この場合も、永住許可への道が切り開かれている。

日本人と婚姻して平穏な日常生活を送っていれば、最短で5年間経過した後に永住許可を受けることができる。

2019年4月より法務省の入国管理局から出入国在留管理庁へ改編されて以降、庁内の一部署が専従し関係機関とも連携する形で多言語による相談窓口(外国人在留支援センター:FRESC)を開設するとともに、200を超える地方自治体に一元的相談窓口を設置するなど、日本人と外国人のコミュニケーション環境を整えるための多文化共生施策を開始してもいる。有識者の意見やパブリック・コメントを経て、そのための総合的対応策やロードマップを策定・公表してきている。遅きに失した感はあろうとも思えるが、こうした一連の対応をもって、なお「日本では移民を受け入れていない」とか「移民政策をとっていない」などと言えるのであろうか。

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「ステップ・アップ型の政策」

確かに米国、カナダ、豪州、ニュージーランドのような伝統的移民国家と違い、入国当初から直ちに「移民」として受け入れているわけではない。しかし本人の希望や能力、さらには日本に在留中のさまざまな実績を考慮して、時間をかけながら最終的に永住許可へ行き着くためのプロセスが、徐々に整ってきているように思われる。いわば「一歩一歩前進型、ステップ・アップ型の移民政策」とでも言えるのではなかろうか。

しかし、保守層の国会議員や言論人の中には、欧米諸国でとられている寛容な移民政策を念頭に「移民」という言葉を避ける向きもみられる。「あくまでも就労、勉学、同居などの目的で在留資格を付与するものであって、それは永住許可とは程遠いものだ。また、こうした目的で入国した場合に、当初から公費を使った本格的な定住支援は行っていない。したがって移民政策はとられていないのだ」というわけであるが、これはいささか強弁だと思われる。

もはや「移民政策をとるべき」「いやその必要はない」という二分法的な議論はほとんど意味をなさない。むしろ、今後いかに外国人労働者(外国人材)を日本で受け入れ、処遇していくかという本質的な議論が必要なのだと考えられる。

いずれにしても、「移民」という言葉の多義性によって振り回されている感もあるとおもわれる。そもそも英語の「migrants」に対して、「移民」「移住者」と直訳するのか、それとも「移動民」「移住労働者」「中長期滞在者」などの言葉を充てるべきかについても、論者によってバラバラである。今さら新しい言葉を作り出すには難しいのかもしれないが、これからの時代に合った名称が求められていると思われる。

筆者:柳瀬房子(認定NPO法人、難民を助ける会前名誉会長)

■柳瀬房子(やなせ・ふさこ) 認定NPO法人、難民を助ける会前会長。青山学院大学大学院総合文化政策学研究科修士課程修了。1979年にインドシナ難民を助ける会(現難民を助ける会)の設立準備に関わり、翌年、30歳で事務局長に就任。以来、半世紀近く日本の難民支援の草分けとして活動。2023年に名誉会長退任後も、法務省難民審査参与員として尽力する。2024年12月に出版した『難民に冷たい国?ニッポン』(慶應義塾大学出版会)のほか、日本絵本賞読者賞を受賞した『サニーのおねがい 地雷ではなく花をください』(絵:葉祥明、自由国民社)など著書多数。

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