
沖縄慰霊の日の前夜祭で行われた献火=6月22日午後、沖縄県糸満市(彦野公太朗撮影)
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沖縄戦の終結から80年となる節目の「慰霊の日」を迎えた。最後の激戦地となった沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園では6月23日、「沖縄全戦没者追悼式」が営まれた。
慰霊の日は、広島、長崎の「原爆の日」(8月6、9日)や「終戦の日」(8月15日)とともに、上皇陛下が皇太子時代から、日本人としてどうしても記憶しなければならない「4つの日」として慰霊を尽くされてきた日だ。
天皇・皇后両陛下をはじめ皇室の方々はこの日、黙禱(もくとう)される。国民も、亡くなった人々に哀悼の誠を捧(ささ)げたい。

昭和20年3月26日、那覇市の西方約40キロにある慶良間諸島に米軍が上陸し、沖縄戦がはじまった。圧倒的兵力の米軍は4月1日に沖縄本島に上陸し、日本軍は激しく抵抗した。熾烈(しれつ)な地上戦は約3カ月間続いた。
沖縄を守るため、県内外の将兵で第32軍が編成された。内地から2500機以上の特攻機や空挺(くうてい)隊、戦艦大和を旗艦とする艦隊が出撃した。県内では義勇隊や中等学校生らによる鉄血勤皇隊、ひめゆり学徒隊が組織され、多くの命が散華した。
牛島満第32軍司令官が6月23日に自決し、組織的戦闘が終わった。日本の軍民約18万8千人が亡くなり、米軍も1万2千人以上が戦死した。
そのうえに今の平和があることを、忘れてはなるまい。

慰霊の日に先立ち、天皇、皇后両陛下は沖縄を訪問された。4日には平和祈念公園内の国立沖縄戦没者墓苑に、5日には米潜水艦に撃沈された学童疎開船「対馬丸」の慰霊碑に供花し、遺族らと言葉を交わされた。
沖縄の苦難の歴史を深くしのばれる両陛下を、県民は熱い思いで奉迎(ほうげい)した。
残念なのは、沖縄戦を巡り偏った言論が県内の一部にみられることだ。例えば地元紙は、沖縄戦の最大の教訓は「軍隊は住民を守らない」ことだと繰り返し報じ、自衛隊の活動も批判している。

だが実際は、日本兵に「生きのびよ」と励まされ、助けられた県民も大勢いる。現在の自衛隊も、沖縄を含む日本の平和維持に欠かせない存在だ。
沖縄の近海で中国は軍事的圧力を一段と強めている。外交努力に加え、防衛力の充実、国民保護の強化が求められる。
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2025年6月23日付産経新聞【主張】を転載しています
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