オウム真理教による地下鉄サリン事件から30年。カルトの危険性に警鐘を鳴らし、惨禍を次代に語り継ぐ必要がある。
sarin gas attacks aum shinrikyo

八丁堀構内から続々と運び出され、救急隊員から手当てを受ける乗客ら=1995年3月20日

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オウム真理教による地下鉄サリン事件から30年となった。事件を「教科書でしか知らない」世代も増えている。カルトの危険性に警鐘を鳴らし、惨禍を次代に語り継ぐ必要がある。

まして事件は、終わっていない。教団は解散し、教祖の麻原彰晃元死刑囚ら幹部の死刑も執行されたが、教義に帰依している後継団体は複数現存する。巨額の資産隠しが疑われる後継団体を相手に、被害者は賠償の履行を求めて闘い続けている。

教団の目的は「国家転覆」だった。首都の中枢部が標的となった初めての化学テロに世界が震撼(しんかん)した。だとすれば、被害者らは国の身代わりになったともいえる。

職員らの献身忘れない

それなのに、なぜ遺族や被害者が今も自ら闘わなくてはならないのか。国は冷たくないか。国は前面に立ち、被害者救済のための迅速な措置を講じるべきである。

平成7年3月20日の朝、中央官庁が集まる都心の霞が関を通る地下鉄3路線の5車両に猛毒の神経ガス「サリン」がまかれた。14人が死亡し約6300人が重軽症となった。

あの朝、地下鉄の複数の駅構内や、地上出口付近の路上は、サリンの猛毒にもだえ苦しむ人たちであふれ返った。

危険を冒して自衛隊員はサリンの除染作業にあたり、消防隊員や医療従事者は救命活動に従事した。乗客の安全を守るために、車両内に残ったサリンの袋を処理した地下鉄職員2人が殉職した。こうした人々の献身を決して忘れてはならない。

地下鉄サリン事件が起こった駅構内=1995年3月20日

一命を取りとめた人の多くも視力の低下や記憶障害などさまざまな後遺症を負った。被害者と、被害者にならなかった人を分かったのは、ほんの偶然でしかなかった。

事件で働き手を失ったり、失職したりした人も多かった。だが、犯罪被害者給付金の支給対象になったのは、わずか数人にとどまった。想定外の無差別テロの被害者を救済する法律も制度もなかったに等しい。

対照的に、無差別テロに対峙(たいじ)し、政府として迅速な動きを見せたのは米国だった。

13(2001)年9月、3万人近い死傷者を数えた米中枢同時テロでは、事件の11日後に米議会が法律を成立させ、被害者補償基金が設立された。

遺族1家族あたり平均で2億円超を支給し、基金は3年未満で任務を終えた。

補償金だけではない。米政府や地元当局が資金を出し、救命作業にあたった消防士や現場付近の住民ら約7万人の健康状態を追跡する調査は、20年間にわたって続けられた。

サリン事件で霞ケ関駅助役だった夫を亡くした「地下鉄サリン事件被害者の会」代表世話人の高橋シズヱさんは、同時テロ遺族との交流で日米の違いを知り、衝撃を受けた。そして立ち上がった。

国の代行回収の確立を

事件の被害者や遺族、弁護団とともに政府や国会に支援の拡大を訴え続けた。地下鉄サリンを含む教団による8事件の被害者・遺族に最高3千万円を国が給付する法律が成立したのは、サリン事件から13年を経た20年のことだった。

教団は8年に破産し、後継団体の「アレフ」が残りの債務を引き継ぐことになった。12年には未払い賠償金を被害者側に支払うことで合意した。

だが支払いは、30年を最後に途絶えている。令和2年には最高裁で10億円超のアレフへの賠償命令が確定したが、差し押さえ手続きは難航している。

給付金法は「テロリズムによる被害者の救済の在り方について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする」と明記している。

国が賠償金を立て替えアレフから回収する仕組みを急ぎつくるべきだ。勧誘を続けている後継団体の資金源を断つことにも重要な意味はある。公安調査庁はアレフが少なくとも7億円の資産隠しを行っているとみる。逃げ得を許してはならない。

未曽有のテロ事件を起こすに至った教団はなぜそれほどの力を持ち得たのか。事件は本当に防げなかったのか。

捜査や新聞を含むメディアのあり方など、改めて検証すべきことは無数にある。だが、まず遺族や被害者が安心して心身の回復につとめられる社会を作りあげることが、あの日、瞬時に人生を傷つけられた人々への日本全体の責務ではないか。

2025年3月20日付産経新聞【主張】を転載しています

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