
パドレス戦の九回、死球を受けるドジャース・大谷。投手はスアレス(共同)
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バットや剛球だけでなく、大谷翔平選手はその立ち居振る舞いでも称賛を集め、大リーグの新たな伝説になろうとしている。
4連戦で8死球が飛び交った大荒れのドジャース―パドレス戦で6月19日、大谷は九回裏の第5打席で報復と受け取れる死球を受けた。

九回表には死球をめぐって乱闘騒ぎとなり、両軍監督が退場処分となった直後である。場内が騒然とする中、大谷は一塁に歩きながら、左手でベンチを飛び出そうとするドジャースナインを押しとどめた。
さらに両手を後ろに組んだまま笑顔でパドレスベンチに歩み寄り、七回に死球を受けたジョンソン選手を「痛みはどう?」と気遣ったのだという。これで球場は平静を取り戻した。

「乱闘は大リーグの華」とまでいわれた米球界で、死球の当事者が両軍を鎮め、野球を壊さなかった。異例の行動に米メディアや大物OBらは、こぞって称賛を惜しまなかった。
2つのシーンが蘇(よみがえ)る。
昭和43年の巨人―阪神戦で王貞治選手が頭部に死球を受けて担架で運ばれ、乱闘に一人参加しなかった次打者の長嶋茂雄さんは救急車のサイレンが届く中、本塁打を放った。決着はあくまで野球でつけるのだとプレーで証明したものだ。
長嶋さんの訃報に触れ、大谷は「野球への愛情が深い方、その情熱を現役の僕らが次の世代につないでいきたい」と話していた。大谷の持論は「敵味方に分かれて戦っていても、野球を愛する仲間同士」というものなのだという。
昭和39年の東京五輪、柔道の無差別級決勝では、オランダのヘーシンク選手が日本のエース神永昭夫選手に一本勝ちした直後、歓喜のあまり畳に駆け寄ろうとしたオランダのスタッフを片手で制して押しとどめた。
遠来の強者が本場で、柔道という競技の持つ本来の礼節と尊厳を守ったという意味で、大谷の姿とも二重写しとなる。
大谷は20日の試合でも笑顔で先発出場し、タイムリー安打を放った。19日の試合後はパドレスのベンチで、ダルビッシュ有投手が「僕らは翔平がいて幸運だ」と話したのだという。

「僕ら」には両軍選手だけでなく、日米を含む全ての野球ファンが含まれる。大谷は今や、誰もが誇るべき存在である。
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2025年6月22日付産経新聞【主張】を転載しています
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