3月8日は「国際女性デー」。日本生まれの自転車競技・競輪は2012年に女子の競技が再開、幅広い選手層で盛り上がりを見せている。
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〝再開〟したガールズケイリン。環境整備も進み、盛り上がりをみせている(JKA提供)

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2月中旬、東京都内の競輪場。平日の夕方にも関わらず、多くの観客が訪れていた。子供連れもいれば、若い女性の姿もある。女子のレースになると、選手の名前を呼ぶ声や「みんな頑張れ!」との声援が方々から飛んできた。

【ガールズケイリンの取り組みポイント】

  • レース新設、ユニホーム刷新など魅力向上
  • 女子専用の風呂場など施設を整備
  • 養成所で妊娠中や出産後の注意点などを伝える

選手数は33人→201人に

2012年に始まった女子選手による「ガールズケイリン」は競技として根付きつつある。33人でスタートした選手数は、24年12月末時点で201人に。年間獲得賞金も増加しており、24年は平均で約992万円に上った。

戦後まもなく日本で産声を上げた競輪。実は女子の競輪も1949年から開催され、最盛期には669人の選手登録があった。しかし選手の実力差が開くなどして下火になり、64年に一度、幕を閉じた。

それでも21世紀に入ると、女子競輪を人気向上の起爆剤にしようと復活に向けた動きが加速。アマチュア選手を集めたエキシビジョンレースの開催を経て、48年ぶりに「ガールズケイリン」として〝再開〟した。

40代でも活躍、長い選手寿命

競輪を統括するJKAは2022年、節目の10周年を機に「プロスポーツ競技のまんなかへ」とのコンセプトを打ち出した。年末の最高峰の大会「ガールズグランプリ」につながる格付けの高い大会を新設したり、ユニホームを刷新したりして魅力向上を図ってきた。

選手のバックグラウンドは多様だ。美容師やアイドルからの転身組、スポーツの経験がなかった人もいる。40代での活躍も目立ち、選手寿命が長いのも特徴の一つだ。

奥井迪(ふみ)選手(43)は32歳でデビューした。学生時代はアルペンスキーを経験。前職は中学校の教員だったが、「まだスポーツをやりたい思いがどこかにあった」と競輪の世界に飛び込んだ。

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出産を経て復帰した選手も

当初はガールズケイリンが長く続くか不安もあったが、「業界的な価値が上がってきていると感じる」。女子専用の風呂場が整備された競輪場も増え、環境面の変化も実感している。稼げるスポーツにもなってきた。「職業の一つの選択肢としてガールズケイリンが浸透してほしい」と願っている。

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中学教諭からガールズケイリンに転身した奥井迪選手=2月6日、立川競輪場(久保まりな撮影)

女性ならではの問題への対応も進む。JKAでは女子選手向けのコンディショニングに関する冊子を作成した。養成所でもデビュー前の候補生に月経の知識のほか、妊娠中や出産後のトレーニングの注意点などを伝えている。出産を経て復帰した選手もおり、担当者は「ライフステージに合わせて、1日でも長く活躍してもらいたい」と語る。

最近は競輪場も改修が進んできれいになり、幅広い年代の人が足を運びやすくなった。奥井選手は「競輪を家族で見に来てもらい、子供たちが将来自分も選手になりたいと思ってもらえたら、うれしい」と話している。

筆者:久保まりな(産経新聞)

2025年3月5日付産経新聞【3・8 国際女性デー 半径5mからの一歩】を転載しています

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