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4月7日に88歳で亡くなったことが分かった漫画家の藤子不二雄Ⓐさん。修行時代を描いた「まんが道」は漫画家志望者のバイブルとなり、登場するアパート「トキワ荘」を広く世に知らしめた。東京都豊島区南長崎には同アパートが「トキワ荘マンガミュージアム」として再現されており、地元の人々や来館者は同日、藤子さんの突然の訃報に驚き、数多くの名作を生んだ生涯をしのんだ。
「ここは街全体が『まんが道』の舞台でした。トキワ荘をよみがえらせるという動き自体が、先生の『まんが道』から始まっていました。非常に残念です」
地元にトキワ荘の復元施設をつくる中心となってきたトキワ荘商店街会長の小出幹雄さん(63)は、訃報を聞いた後、言葉を絞り出すように語った。
「まんが道」では、藤子さん自身がモデルの満賀道雄が、才野茂(平成8年に死去した藤子・F・不二雄さんがモデル)と出会い、上京して手塚治虫さんが住んでいたトキワ荘に入る。実際には昭和29~36年にここで暮らし、石ノ森章太郎さん、赤塚不二夫さん、水野英子さんら漫画家仲間と競うように、創作活動に打ち込んでいた。
トキワ荘は57年に老朽化のため解体。61年に「まんが道」がNHKでドラマ化されて価値が再認識され、長年の地元の活動の結果、令和2年7月に当時の居室などを忠実に再現したミュージアムが開館した。
藤子さんは同年10月にミュージアムを初めて訪れ、「トキワ荘の再現は驚いたと同時に感激。20歳のころがよみがえって泣きそうになった」と語った。3年4月にも手塚さんの特別展のため来館し、敷金を肩代わりしてくれた手塚さんについて「トキワ荘に入れたのも先生のおかげ。漫画だけでなく、私生活もお世話になった」としのんだ。
前出の小出さんは「先生の特別展を生前にミュージアムで開きたかった」と突然の死去を惜しんだ。
訃報が伝わった7日、近くに住む漫画家の永田晃一さん(47)は「トキワ荘ゆかりのラーメン屋、松葉で食事をしているときに知って驚いた。子供のころは『忍者ハットリくん』、大人になってからは『笑ゥせぇるすまん』が好きだった。お元気だと思っていたのでさびしい」と話した。
千葉県鎌ケ谷市から来館した岸伸男さん(70)は「残念ですが、幼いころから十分に楽しませてもらいました。子供や孫の世代も親しんでいて、まるで日本のディズニーのような存在でした」と語った。
筆者:鵜野光博(産経新聞)