みなさんは「浮世絵」を知っていますか?
たぶん多くの人は「もちろん知っていますよ!」と答える事でしょう。中には本物の浮世絵を見る機会に恵まれた人や自ら浮世絵を勉強した人もいるでしょうが、そのような人は少数で、残念なことに世の中には浮世絵のスタイルを借りた「浮世絵もどき」が横行しており、例えば飲み屋ののれんやポスターに描かれている下品にデフォルメされた歌麿の女を浮世絵なのだと思い込んでいる人も多いようです。そこで、本物の浮世絵の魅力について、肩の凝らない「アトリエ談義」でも聞いていただくつもりで、ご紹介することにしました。
「浮世絵」というと、私たちは歌麿、写楽、北斎、広重などの名を思い出すのではないでしょうか。でもこうした大家はいたるところで紹介されているので、ここでは私が特に気に入っている歌川国芳(うたがわ・くによし)をトップバッターでスタートし、彼の門人たちや、その周辺の浮世絵師や、時には同時代の日本画家にまで脱線しながらも楽しみながらアトリエ談義を続けてゆくことにしようと思います。
まず国芳作品と共に彼の人柄を紹介します。彼の性格は豪放磊落、それでいて心優しく誰からも愛される人物でした。国芳塾には彼を慕って多くの人々が入門しましたが、その数何と60名を超えます。もちろん通いの弟子や中には国芳のスポンサーだった商家の旦那も含まれるのでしょうが、どちらにしても国芳の人気は絶大なものであったのです。
また、飯島虚心の歌川列伝には次のような記述があります。「国芳の家に一老婆あり。これ先妻の母にして、国芳はその老いたるを憐れみ、これを深くいたわりたり」。このように彼は人情味あふれた人物でした。
それから、彼の猫好きもよく知られています。彼の弟子だった河鍋暁斎が後に出版した「暁斎画談」には、猫に囲まれた国芳師匠が幼い暁斎(幼名周三郎)の絵を見てあげている図があります。
暁斎画談の猫の絵
国芳の祭り好きも有名でした。個人的に出版したと思われる極彩色の錦絵「勇国芳桐対模様(いさましくによしきりのついもよう)」は、ど派手でクールな衣装に身を包んだ後ろ姿の国芳と、その弟子たちが祭りに興じている様子が活き活きと描かれています。
勇国芳桐対模様
実は、当時は倹約令が布かれていて、実際には町民は派手な着物なども控えなければならなかったので、絵の中でその鬱憤を晴らしているというわけです。また、これは大変珍しい作品で、国内で確認されているのは現時点で2点のみです。
国芳の性格が豪放磊落であることはすでに触れましたが、江戸っ子気質の彼の中にはそれに加えて大変無邪気な一面もありました。彼は火事があるとじっとしていられずに、真っ先に火事場へすっ飛んでいったという事です。「火事と喧嘩は江戸の華」といわれますが、これも又いかにも江戸っ子国芳ならではの性質といえるかもしれません。
それでは愛すべき浮世絵師「歌川国芳」の紹介を終わることにして、次回は、彼の人柄が反映された楽しい作品をご覧いただくことにしましょう。
悳俊彦(いさを・としひこ、洋画家・浮世絵研究家)
【アトリエ談義】
第1回:歌川国芳:知っておかねばならない浮世絵師
第2回:国芳の風景画と武者絵が高く評価される理由
第3回:浮世絵師・月岡芳年:国芳一門の出世頭
第4回:鳥居清長の絵馬:掘り出し物との出合い